本場黄八丈の歴史を年代別にかんたんに紹介
平安時代末期: 本場黄八丈の始まり。八丈島で絹織物の製作が始まる。
室町時代: 八丈島の絹織物が内地に渡り、年貢として幕府に納められる。
江戸時代中期: 縞や格子の模様の黄八丈が織られ始める。
江戸時代後期: 人形浄瑠璃「恋娘昔八丈」に黄八丈の衣装が採用され、歌舞伎で上演。
太平洋戦争時代: 黄八丈の生産が一時中止。
終戦後: 黄八丈の生産が再開。伝統的な染めと織り技術が認められる。
1977年: 本場黄八丈が国の伝統的工芸品に指定される。
本場黄八丈の歴史(詳細)
本場黄八丈の歴史は平安時代の末期に始まり、その始まりは具体的には不明ですが、室町時代には八丈島で絹織物が作られていました。この時代、八丈島は農作物に乏しく、年貢として絹織物が幕府に納められていました。江戸時代後期になると、人形浄瑠璃「恋娘昔八丈」で黄八丈の衣装が採用され、後に歌舞伎でも上演されました。これをきっかけに黄八丈は脚光を浴び、江戸の人々の間でその人気が高まりました。当初は身分の高い人が着用していましたが、次第に町民の衣類としても普及し、その人気から入手が難しくなり、高価な絹織物としての地位を築きました。
太平洋戦争中は一時的に生産が中止されましたが、終戦後に再開され、伝統的な染めと織りの技術が「全国織物技術品」や東京都文化財保護委員会の「助成の措置を講ずべき無形文化財」に指定されました。また、黄八丈技術保存会が結成され、本場黄八丈を守るための活動が活発になりました。
1977年には経済産業省から伝統的工芸品として指定され、本場黄八丈は八丈島の貴重な特産品として島を支えています。さらに、本居宣長が書き残した書物によると、「黄八丈を織り始めたところから八丈島と名が付いた」との記述があり、島の名前の由来ともなっているとされています。