東京アンチモニー工芸品

東京アンチモニー工芸品の歴史~繊細かつ重厚な輝き~

東京アンチモニー工芸品の歴史を年代別にかんたんに紹介

明治維新時代: 徳川幕府下の鋳物師や彫刻師が職を失い、アンチモニー製品の製造へ移行。
1949年: 輸出アンチモニー工業協同組合が発足。製品の半分以上がアメリカへ輸出される。
1960年代: アンチモニー製品の輸出額がピークに達する。
1970年代: ドル高騰の影響で輸出額が大幅に減少。
2015年: 東京アンチモニー工芸品が日本の伝統的工芸品に指定される。

東京アンチモニー工芸品の歴史(詳細)

東京アンチモニー工芸品の歴史は、明治維新時代にその起源を持ちます。徳川幕府下で活動していた鋳物師や彫刻師たちは、政権の交代とともに職を失いました。これまで戦に使う武具を製造していた彼らは、時代の変化に対応し、日常的に使える製品の製造技術を磨き始めました。この技術転換の中で、灰皿や宝石箱などのアンチモニー製品が生まれ、東京に集まった職人たちが技術を競い合った結果、製品の質が高まり、東京アンチモニーは特産品として名声を得ました。

明治期には組合が設立され、富国強兵の政策の下、外貨獲得のために多くのアンチモニー工芸品が輸出されました。特に戦勝景気による記念品の需要が高まり、産業は全盛期を迎えました。1949年には輸出アンチモニー工業協同組合が発足し、1960年代には輸出額がピークに達しましたが、1970年代のドル高騰の影響で輸出額は大幅に減少しました。

この影響を受け、東京アンチモニー産業は国内市場へのシフトを図り、大会トロフィーや置物、メダルなど国内向け製品の製造に注力しました。繊細な彫刻と重量感が特徴的なアンチモニー製品は、2015年に経済産業大臣により伝統的工芸品に指定され、現在もアクセサリーやインテリア小物、日用品や服飾雑貨として販売されています。

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