江戸節句人形

江戸節句人形の歴史~子の健康願う伝統人形~

江戸節句人形の歴史年表

  • 平安時代: 人形が新生児の無病息災を祈るために使用され、京都で発祥。
  • 江戸時代初期: 京都の影響を受け江戸でも人形の制作が始まり、「享保雛」が流行。
  • 元禄年間: 江戸の町人文化発達に伴い、節句人形の伝統が形成される。
  • 1760年代: 次郎左衛門雛が京都から江戸に伝わり、小型で庶民的な次郎左衛門雛が広まる。
  • 平成19年: 江戸節句人形が経済産業大臣より伝統的工芸品に指定される。

江戸節句人形の歴史(詳細)

江戸節句人形、または江戸衣装着人形とは、雛人形、武者人形、市松人形などの衣裳を着せた人形を総称したものです。その起源は平安時代に遡り、新生児の無病息災を祈る天児や這子が原型とされ、京都で発祥しました。江戸時代には、諸大名の参勤交代に伴い、人形師たちが随行し、その技術が全国に広まりました。元禄年間には江戸の町人文化の発達により、各種の節句人形が確立され、江戸節句人形の伝統が形成されました。

特に1760年代には、「次郎左衛門雛」が京都から江戸に伝わり、小型で家庭内で飾りやすい庶民的な雰囲気を持つ次郎左衛門雛が広く受け入れられ、江戸節句人形の主流となりました。これにより、大型で豪華な「享保雛」から次郎左衛門雛の小型で写実的なスタイルへと変化し、現在に至るまで江戸節句人形の基本的な特徴として受け継がれています。平成19年には、この伝統ある江戸節句人形が経済産業大臣により伝統的工芸品に指定され、その価値が認められました。

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