江戸押絵

江戸押絵の歴史~江戸の粋感じる伝統押絵~

江戸押絵の歴史を年代別にかんたんに紹介

江戸押絵の歴史についての年表は以下の通りです:

- 1433年: 羽子板が宮中の正月の儀式で使用された(「こぎの子勝負」)。
- 1603年: 江戸時代の始まり。
- 1700年: 17世紀中頃、羽子板が女児の誕生祝いとして贈られる習慣が始まる。
- 1804年: 文化文政期の始まり。この時代に歌舞伎や浮世絵が隆盛し、押絵羽子板の技術が発展。
- 1829年: 文化文政期の終わり。
- 1867年: 江戸時代の終わり。
- 2024年: 現代、伝統的な押絵羽子板の技術が受け継がれている。

江戸押絵の歴史(詳細)

江戸時代には、羽子板が魔除けや神事に使われていたとされ、「胡鬼板(こぎいた)」や「羽子板(はねこいた)」と呼ばれていました。初めて文献に登場するのは室町期で、永享4(1433)年の正月に宮中で公家や女官が「こぎの子勝負」に興じた記述があります。以来、羽子板は邪気を祓う正月の贈り物、正月の遊び、女の子の誕生祝いとして現在に至るまで受け継がれています。一方、押絵は宮中で女官たちが端布を使って屏風や香箱などに装飾したものが発祥とされ、江戸時代になり庶民にも流行しました。江戸の文化が熟成した文化文政の頃に、縁起の良い羽子板に歌舞伎役者を押絵であしらった押絵羽子板が誕生し、大変な人気を博しました。

新年に行われる伝統的な遊戯、羽根突きには人々の無病息災を願う想いが込められ、17世紀以降、羽子板が女児の誕生祝いとして贈られ、押絵の技法が発達しました。日本の伝統芸能をモチーフにした押絵羽子板は、日本舞踊や歌舞伎などを基にした躍動感ある図案が特徴で、特に人物の表情に職人たちは細心の注意を払いました。師走の声も中頃には、浅草寺で羽子板市が開かれ、色とりどりの羽子板や羽根とともに、景気のいい手打ちが響き渡ります。

江戸押絵羽子板は、布に綿をくるんだりして立体的な絵を作る技術で、歌舞伎が人気を博し浮世絵師が活躍する文化文政期に爆発的な人気を博しました。当時の羽子板には、描絵羽子板や貼絵羽子板とともに、豪華で華美な左義長羽子板もありました。今でも、江戸の伝統技法を受け継いだ職人たちは押絵羽子板を作り続けており、特に歳の市では往時をしのぶにぎやかさとともに、飾り立てられた羽子板や羽根が並びます。

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