江戸木目込人形

江戸木目込人形の歴史~作り手の味が輝く渾身の逸品~

江戸木目込人形の歴史を年代別にかんたんに紹介

江戸木目込人形の歴史についての年表は以下の通りです:

- 1736年: 木目込人形の始まりとされる時期。高橋忠重によって最初の木目込人形が作られます。
- 1868年: 江戸時代が終わりを迎え、木目込人形が江戸風に洗練され、発展しました。
- 1970年: 木目込人形が家庭の主婦の習い事として大流行しました。
- 1978年: 江戸木目込人形が国の伝統的工芸品に指定されました。
- 2024年: 現代においても、木目込人形の伝統的な技法と文化が受け継がれています。

江戸木目込人形の歴史(詳細)

江戸木目込人形の歴史は、約270年前、江戸元文年間(1736~41年)に京都の上賀茂神社に仕える雑掌、高橋忠重によって始まったとされています。彼は奉納箱の余材である柳の木に木彫を施し、溝を掘り、そこに神官の衣裳の端切れをきめ込んで人形を作りました。この技法が「木目込み」と呼ばれ、当初は加茂人形として知られていました。この技術は京都から江戸に移り、特に江戸時代に入ってから洗練され、現在の江戸木目込人形として発展しました。昭和53年(1978年)には国の伝統的工芸品に指定され、東京と埼玉地区がその産地として認められました。

木目込人形とは、桐の木材や桐塑を使用して人形型を作り、数ミリの溝に布などを入れて仕上げるものです。この技法は特に雛人形や五月人形制作に欠かせないものとなり、1970年頃には家庭の主婦の習い事としても人気を博しました。しかし、その後、趣味としては下火になり、人形や技法を絶やさないための学校が設立されましたが、講師陣は年配層で構成され、新しい世代の育成が課題となっています。木目込人形は今後、商用での利用が主流になる可能性があり、衰退を防ぐための施策が必要とされています。明治時代には、胴体を桐塑で型抜きする現在の製造法が導入され、多量生産や形態の多様化が可能となり、さらに多くの種類の木目込人形が作られるようになりました。これらの伝統的な技法と継承される文化が、江戸木目込人形の特色として今日まで受け継がれています。

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