江戸べっ甲

江戸べっ甲の歴史~貴重なウミガメの甲羅を使用した伝統工芸品~

江戸べっ甲の歴史

  • 正倉院宝物: 鼈甲細工が正倉院宝物に含まれることから、その歴史が非常に古いことが示される。
  • 16世紀: べっ甲の製造技術が朝鮮を経て長崎に伝わる。
  • 1688-1704年 (元禄期): 貼り合せの技法が江戸に伝えられ、複雑な造形が可能になり、江戸べっ甲の発展に寄与。
  • 江戸時代初期: 江戸幕府開設と共に甲羅に単純な細工を施した製品が作られる。
  • 現代: 東京・長崎・大阪が鼈甲の三大産地として知られ、特に東京台東区が代表的な生産地となる。

江戸べっ甲の歴史(詳細)

江戸べっ甲の歴史は非常に古く、正倉院宝物に含まれる杖や琵琶の一部に玳瑁(タイマイ)の甲羅が使われていることからもその古さが明らかです。江戸時代初期、江戸幕府の開設と共に、単純な細工が施された甲羅製品が登場しました。元禄期(1688-1704年)には、貼り合わせ技法が江戸に伝えられ、複雑な造形が可能になったことが、江戸べっ甲の発展に大きく寄与しました。この技術は朝鮮を経て長崎にもたらされ、その後江戸に伝わりました。当時の亀は、長寿の象徴として価値があり、べっ甲製のかんざしや櫛などは大名や貴族に愛用されていました。しかし、江戸幕府の奢侈禁止令により、高価なべっ甲製品は取り締まりの対象となってしまいました。ある藩主は特例として、日本内地の亀で作られた鼈甲製品の使用を幕府に許可され、以来「鼈甲」の名が用いられるようになりました。

鼈甲細工に使われる玳瑁は赤道近くの海域に生息し、大きなものは全長180センチメートル、体重200キログラムにもなります。しかし、その甲羅の透明な部分は約10%しかなく、この希少性がさらに鼈甲製品を珍重させています。国際的に絶滅の恐れのある玳瑁の保護が重視される中、赤道近くのインドネシアやキューバなどで人工増殖が行われており、良質な天然鼈甲の確保に向けた期待が寄せられています。

製造過程では、甲羅からの木地取り、製品の形と斑の位置の決定、水と熱での張り合わせなど、熟練の技が必要です。完成した製品はネックレス、ブローチ、眼鏡の枠など多岐に渡り、奥行きのある光沢と滑らかな肌触りで多くの人々に愛用されています。現代でも、東京・長崎・大阪が三大産地として知られており、特に東京の台東区が代表的な生産地とされています。"

-江戸べっ甲