新潟・白根仏壇

新潟・白根仏壇の歴史~豪華絢爛、荘厳な装飾~

新潟・白根仏壇の歴史を年代別にかんたんに紹介

江戸時代中期: 伽藍師が京形の白木仏壇を作り始める。
1688年~1704年: 長井林右エ門が新潟に仏壇の製造技術を伝える。
1781年~1789年: 白根仏壇製作が5つの工程に分業化され、量産体制が整えられる。
1856年以降: 北海道や東北方面に販路を拡大。
1897年: 白根仏壇同業者組合が発足する。
1975年: 白根仏壇同業者組合が白根仏壇協同組合に改組される。
1977年: 越後仏壇協同組合連合会が発足する。
1980年: 新潟・白根仏壇が伝統的工芸品に指定される。
2002年以降: 新しい製品開発のための勉強会が催される。

新潟・白根仏壇の歴史(詳細)

新潟・白根仏壇の起源は江戸時代中期にさかのぼります。この時期、京都の寺院建築を専門とする宮大工の長井林右エ門が新潟に仏壇の製造技術を伝えたことが始まりとされています。最初に作られたのは京形の「白木仏壇」で、後に独特の彫刻や装飾が取り入れられ、現在の白根仏壇の形に発展しました。

新潟県は浄土真宗や日蓮宗など仏教文化への信仰が深い地域で、特に親鸞や日蓮のゆかりの地として知られています。信濃川の氾濫など厳しい自然環境の中、仏教の教えは地元民にとって心の支えであり、これが仏壇への信仰心を育てました。

江戸時代天明年間(1781年~1789年)には、白根仏壇製作が木地・彫刻・金・塗箔・蒔絵の5つの工程に分業化され、量産体制が整いました。1856年以降、北海道や東北方面への販路拡大が進み、1897年には「白根仏壇同業者組合」が発足しました。この組合は1975年に「白根仏壇協同組合」として改組され、1977年には越後仏壇協同組合連合会が設立されました。

1980年、越後仏壇協同組合連合会に所属する会員が作る仏壇が「新潟・白根仏壇」として経済産業大臣から伝統的工芸品に指定されました。以降、後継者育成や白根仏壇の認知度向上のため、展示会や伝統工芸企画展への定期的な出展が行われています。2002年以降は、新潟市仏壇業協同組合と地元大学が協力し、伝統技法を用いた新たな製品開発に取り組んでいます。

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