長岡仏壇の歴史を年代別にかんたんに紹介
17世紀頃: 長岡仏壇の起源。長岡藩内の寺院や社殿の建設に携わる宮大工、仏師、彫刻師が冬の内職として仏壇製造を始める。
19世紀前半: 長岡藩による浄土真宗の保護政策により、仏壇文化が広まり、長岡仏壇の製造が産業として発展。
戦後: 住宅事情や家族構成の変化から、豪華な仏壇の製造は減少するが、技術に支えられた長岡仏壇は人気を維持。
昭和55年(1980年): 経済産業大臣による「伝統的工芸品」に指定され、その伝統と技術が評価される。
長岡仏壇の歴史(詳細)
長岡仏壇の起源は17世紀頃にさかのぼります。この時期、長岡藩内の寺院や社殿を建設するために全国から集められた宮大工、仏師、彫刻師たちが、雪深い冬の間の内職として仏壇製造を始めたことが始まりとされています。長岡藩による浄土真宗の保護政策により、仏壇文化が庶民の間に浸透し、19世紀前半には仏壇作りが地域産業として定着しました。
仏壇製造が長岡地域で盛んになった理由としては、複数の要因が考えられます。まず、原料となるケヤキが地元の山地に自生しており、容易に入手できたことが挙げられます。また、高温多湿の気候が漆の乾燥に適しており、長岡地方が交通の要衝であったため、原料や製品の輸送に適していました。さらに、越後人の粘り強い性格が、長い冬の間に技法の向上や研究に取り組む環境を提供していたとも考えられます。
戦後の住宅事情や家族構成の変化により、豪華絢爛な仏壇の製造は影を潜めましたが、高い技術に裏打ちされた長岡仏壇は根強い人気を保っています。昭和55年(1980年)には、その伝統と技術が評価され、経済産業大臣(当時は通商産業大臣)により「伝統的工芸品」に指定されました。