木曽漆器の歴史を年代別にかんたんに紹介
1582年以前: 伝承によると、武田勝頼が敗退時に諏訪神社の朱塗りの社殿に火を放ち、この地域に漆塗りの技術が存在していたことを示唆。
1607年(慶長12年): 奈良井にて曲物の生産が確認される。
1665年(寛文5年): 漆器生産の最初の記録が見られる。
1598年(慶長3年): 中山道沿いの木曽平沢に人々が移住し、集落「木曽平沢」が形成される。
1975年: 木曽漆器が経済産業省の伝統的工芸品に指定され、木曽平沢が国の重要伝統的建造物群保存地区になる。
明治時代: 地元奈良井で「錆土(さびつち)」が発見され、木曽漆器の品質と耐久性が向上。
江戸時代: 木曽地方での曲物や漆塗り製品の生産が栄え、高品質な木材が特徴。
近代: 高度経済成長期にホテルや家庭向けの大物製品が主流に。現代では文化財修復や小物製品の生産も行われている。
木曽漆器の歴史(詳細)
木曽漆器の歴史は、古くから続く日本の伝統工芸の一つです。その起源は、少なくとも1607年(慶長12年)以前に遡り、当時奈良井で曲物が生産されていたことが確認されています。塗物生産に関しては、1665年(寛文5年)が最初の記録とされていますが、1582年(天正10年)に武田勝頼が敗走する際に諏訪神社の朱塗りの社殿に火を放ったという伝承から、この地域にはそれ以前から朱塗りの技術があった可能性が指摘されています。
木曽漆器の発展は、木曽五木をはじめとする良質な材木を使用し、丈夫さを増すために漆を塗ることから始まりました。江戸時代初期には、ヒノキやサワラの薄板を使った曲げ物が全国的に知られるようになり、木曽春慶塗などの漆を塗り重ねた製品が製造されました。特に、明治時代に地元で発見された錆土のおかげで、堅牢な平滑面を作ることができ、漆器の生産は広範な製品へと展開しました。
1975年2月17日には、木曽漆器が経済産業省の伝統的工芸品に指定され、中山道に位置する奈良井宿の木曽平沢は、国の重要伝統的建造物群保存地区になりました。ここでは、木曽漆器の工房や店が多く存在し、多くの観光客が訪れています。また、木曽漆器の製造地である旧楢川村(現・塩尻市)は、中山道の北の入口に位置し、独特な気候が漆の塗り作業に適しているとされています。
高度成長期には、ホテルや旅館、一般家庭向けに大物製品が主流となり、現在では、社寺建造物や神輿・屋台などの文化財修復も行われています。小物製品を作る工房も増え、若い職人たちを中心に現代生活様式に適合した新しい木曽漆器も生産されています。木曽春慶、木曽堆朱、塗分呂色塗などの伝統的技法は経済産業省伝統工芸品に指定され、多くの職人に受け継がれ、さらに多様な技法への挑戦も行われています。