一位一刀彫の歴史を年代別にかんたんに紹介
1800年:松田亮長が白川村で生まれる。彼は幼少期から彫刻に興味を持ち始め、技術を磨く。
1850年頃(江戸時代末期):松田亮長が一位一刀彫を考案。彼は奈良一刀彫に触発され、飛騨の銘木・一位を使い、彩色に頼らず木の美しさと彫り手の技量を生かす一位一刀彫を創り出す。
1978年:一位一刀彫が通商産業省(現・経済産業省)によって伝統的工芸品に指定される。
一位一刀彫の歴史(詳細)
一位一刀彫の歴史は、江戸時代末期に高山出身の根付彫刻師、松田亮長が一位の木目の美しさに着目し始まりました。亮長は1800年に白川村で生まれ、高山の鋳金屋松田屋吉兵衛に育てられました。幼少期から彫刻に興味を持ち、成長すると日本各地の名勝地を訪れ、古い神社仏閣の彫刻を研究しました。奈良を訪れた際、彩色された奈良一刀彫(奈良人形)を見て木の風合いが失われていると感じた亮長は、木肌そのものを生かした彫りを追求し、飛騨の銘木・一位を使用して一位一刀彫を考案しました。
一位一刀彫は、彩色に頼らず木の美しさと彫り手の技量を生かすことに重点を置いており、亮長は木を生かした作品を生み出すため、作品に合わせた刀の使い方をしていました。トクサやムクの葉での仕上げやロウを引く手法も彼によって始められました。亮長は、蛇、蛙、亀などの細密で写実的な根付を得意とし、簡潔な意匠の一位一刀彫作品も残しています。
飛騨国は木工業が盛んで、伝説の彫刻師左甚五郎も出身地とされています。亮長の技術は飛騨の木工職人に引き継がれ、飛騨を代表する工芸品になりました。1978年には通商産業省によって伝統的工芸品に指定され、現在も多くの職人によって縁起の良い置物や小物などの民芸品として製作され、人気を博しています。