美濃和紙

美濃和紙の歴史~薄く丈夫で美しい伝統和紙~

美濃和紙の歴史を年代別にかんたんに紹介

702年: 奈良の正倉院に日本最古の紙として所蔵されている美濃国の戸籍用紙が存在。これが美濃和紙の起源とされる。
平安時代: 仏教の興隆により経文や経典の需要が増加し、美濃紙の需要も急増。京都の上層階層者が美濃紙を求めるようになる。
応仁・文明時代(1486年頃): 商工業の発展と共に美濃製紙業も発展。市内大矢田に紙市が設けられる。
江戸時代: 美濃和紙が高級障子紙として最上の評価を受け、「美濃判」という規格が生まれる。
明治時代: 美濃和紙がウィーンやパリの万博博覧会を通じて海外に紹介される。
1969年: 本美濃紙の製作技術が国の重要無形文化財に指定される。
1985年: 美濃和紙が国の伝統的工芸品に指定される。
2014年: 本美濃紙の手漉き技術がユネスコ無形文化遺産に登録される。
2021年: 東京五輪の表彰状に美濃手すき和紙が使用される。

美濃和紙の歴史(詳細)

美濃和紙の歴史は、奈良時代に遡り、日本最古の和紙として知られています。この歴史は、1300年以上前に始まり、美濃国(現在の岐阜県美濃市)でつくられた戸籍用紙が奈良の正倉院に所蔵されていることからも明らかです。奈良時代には、写経用の紙としても使用され、美濃、筑前、豊前の3国の戸籍用紙が日本最古とされています。特に美濃紙は、漉きむらがなく、質の高さで評価されていました。

平安時代になると、仏教の興隆に伴い経文や経典の需要が増加し、美濃紙の需要も急速に高まりました。京都の上層階層者たちは美濃紙を縁故を頼って求め、京都や奈良に全国各地から送られたさまざまな紙の中でも特に評判が高かったとされます。応仁・文明時代(1486年頃)には商工業の発達と共に美濃製紙業も急速に成長し、美濃市内大矢田に紙市が設けられました。

江戸時代には、美濃和紙は高級障子紙として最上の評価を受け、「美濃判」という規格が生まれました。しかし、紙漉き業は免許制で、明治維新により制限が撤廃されるまで、国内の紙需要は制限されていました。明治時代になると、ウィーンやパリの万博博覧会を通じて海外に紹介され、美濃和紙の名声は世界に広がりました。また、本美濃紙の製作技術は1969年に国の重要無形文化財に、1985年には美濃和紙として国の伝統的工芸品に指定されました。2014年には本美濃紙の手漉き技術がユネスコ無形文化遺産に登録されるなど、その技術と品質の高さは国内外で高い評価を得ています。

現在、美濃和紙は京都の迎賓館の障子紙や照明器具に使われるほか、アメリカのスミソニアン博物館やイギリスの大英博物館、フランスのルーブル博物館などが所蔵する古文書や絵画の修復にも用いられています。また、2021年の東京五輪の表彰状には美濃手すき和紙が選ばれました。

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