岐阜和傘

岐阜和傘の歴史~繊細で優美な伝統和傘~

岐阜和傘の歴史を年代別にかんたんに紹介

1756年:加納藩主・永井直陳が下級武士の生計を助けるため和傘づくりを奨励。
1940年代半ば:岐阜和傘が最盛期に達し、年産100万本を超える。

岐阜和傘の歴史(詳細)

岐阜和傘の歴史に関して、1756年(宝暦6年)に加納藩主・永井直陳が下級武士の生計を助けるために和傘づくりを奨励したことが始まりです。分業体制の確立に加え、美濃和紙の産地に近く、周辺の山間地で良質の竹が採取できる地理的利点がありました。これらの要因が相まって、加納の和傘は大いに栄えました。特に最盛期である昭和20年代半ばには年産100万本を超えるほどでした。さらに、岐阜和傘を搬送する際、長良川が重要な役割を果たしました。長良川から伊勢湾の桑名へ出て、そこから廻船によって江戸や大阪などの大消費地へ運ばれ、広範囲に販売されたことが、岐阜和傘の繁栄に寄与しました。

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