岐阜提灯

岐阜提灯の歴史~繊細で優美な心安らぐ絵柄~

岐阜提灯の歴史を年代別にかんたんに紹介

1085年(応徳2年):『朝野郡載』に提灯に関する最古の記録が見られる。
1536年(天文5年):『日蓮聖人註画讃(巻第五)』に折りたたみができるかご状でない提灯が描かれる。
江戸時代中期:ローソクの大量生産に伴い提灯が庶民に普及する。
1751年~1763年(宝暦年間):岐阜の提灯屋十蔵が提灯を製作し、尾張藩を通じて幕府に献上、岐阜提灯の始まりとされる。
1804年~1829年(文化文政年間):草花を描いた提灯が普及。
1830年~1843年(天保年間):薄紙張り絵提灯が「岐阜提灯」と呼ばれるようになる。
慶長年間(十六世紀):岐阜提灯の発祥とされ、徳川三代将軍の時に初めて幕府に献じられた。
1878年(明治11年):明治天皇が東海北陸地方巡幸時、岐阜提灯が天覧に供され、全国的な知名度を得る。

岐阜提灯の歴史(詳細)

岐阜提灯の歴史は古く、その起源については諸説がありますが、宝暦年間(1751年〜1763年)に岐阜の提灯屋十蔵が製作し、尾張藩を通じて幕府に献上したことから始まるとされています。岐阜は昔から美濃地方に属し、優れた和紙の産地であり、この地で生産される良質な和紙と竹材を用いて提灯が作られました。文化文政年間(1804年〜1829年)には草花を描いた提灯が普及し、天保年間(1830年〜1843年)には薄紙張り絵提灯が「岐阜提灯」と呼ばれるようになりました。その後、明治時代に入り形状、絵模様、色彩などの改良を重ね、現在の精巧で優雅な岐阜提灯が完成しました。

提灯はもともと江戸時代以前には主に天皇家や貴族などの上層階級で使用されていましたが、江戸時代中期以降にローソクの大量生産と共に庶民にも普及しました。岐阜提灯は産地岐阜の名から称されるようになり、岐阜だけに伝わる特殊技巧で造り出されました。その発祥については慶長年間(十六世紀)に創造されたとも考えられており、「岐阜志略」によれば、土岐成瀬の時に起こったとされ、徳川三代将軍の時に初めて幕府に献じられた記録があります。天明の頃には奉行黒田六一郎を通じて将軍家や大奥からの注文もあったとされています。

明治十一年(1878年)には、明治天皇が東海北陸地方を巡幸した際に岐阜提灯が天覧に供され、その名声が全国に広まるきっかけとなりました。この時代までに岐阜提灯の生産はそれほど多くはなく、経済や交通の発展していない時代でもあり、全国に流布されていたわけではありませんでしたが、この出来事を契機に名声が高まりました。現在では、卵型の御所提灯をはじめ、大内行灯、回転行灯、変形提灯、装飾用提灯など、様々な種類が生産され、日本有数の産地として誇られています。その特色は、細いヒゴを巻き、薄い和紙を張り、秋の七草、花鳥、風景模様などの絵を描いたもので、その季節感と灯明に映し出される優美さで、人々に潤いとやすらぎを与えています。

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