名古屋友禅

名古屋友禅の歴史~落ち着きと風情のある染色品~

名古屋友禅の歴史を年代別にかんたんに紹介

1730~1739年(徳川宗春の時代):尾張藩主・徳川宗春が繁栄政策をとり、京都、江戸などから友禅師が往来し、名古屋市を中心にした地域で友禅の技法が伝わる。
宗春失脚後:質素倹約が励行され、友禅染の模様の配色が色数を控えたものへ移行。単彩濃淡調の色使いと幽玄さを秘めた「渋さ」が名古屋友禅の特徴となる。

名古屋友禅の歴史(詳細)

名古屋友禅の歴史は、18世紀前半の尾張藩主・徳川宗春の時代に始まります。この時期、宗春が尾張地方の繁栄政策を推し進め、京都や江戸などから多くの職人が往来した中で友禅師も含まれていました。その結果、友禅染の技法が尾張の地に伝わりました。

宗春が失脚した後、倹約が励行されるようになり、友禅染の模様の配色も色数を控えたものへと変化しました。この変化は、地域特有の単彩濃淡調の色使いと幽玄な「渋さ」を特徴とする名古屋友禅のスタイルを形成しました。当時の尾張文化は華やかで、京都や江戸からの職人が名古屋市を中心とした地域に行き来し、友禅の技法が伝えられました。現在まで江戸時代末期の染色品が保存されており、また伊勢形紙の販売記録も残されています。

名古屋で友禅染が定着した理由の一つに、尾張・美濃が古くから絹織物の産地であったことが挙げられます。尾張藩の地上産業振興策により、生産が奨励されたことも友禅染の発展に寄与しました。このようにして、名古屋友禅は、その特徴的な色使いと技法で独自の発展を遂げてきました。

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