牛首紬

牛首紬の歴史~パリコレにも採用される日本の伝統素材~

牛首紬の歴史を年代別にかんたんに紹介

1159年:平治の乱に敗れた源氏の落人が白峰村桑島へ逃れ、機織の技術を村人に伝授。牛首紬の始まり。
室町時代:白峰地方の養蚕と紬織が始まる。
江戸時代:白峰地方が天領となり、幕府の保護奨励策により牛首紬が全国的に名声を博す。
慶応2年(1866年):越後谷清次が庄川地域でロクロ木地を営む。牛首紬の挽物技術が広まる。
明治時代:養蚕の奨励と共に製糸や紬繊が伸びるが、第二次世界大戦により本格的な紬生産が姿を消す。
昭和38年(1963年):西山鉄之助が桑畑の造成と養蚕を開始し、紬工場を建設。牛首紬の再興に成功。

牛首紬の歴史(詳細)

牛首紬は石川県白山市白峰にその起源を持つ、伝統的な紬織物です。この地域は霊峰白山のふもとに位置し、豊かな自然環境の中で発展しました。名前は旧地名である牛首村に由来し、平治の乱で敗れた源氏の落人がこの地に流れ着き、その妻が村人に機織の技を伝えたことが始まりとされています。

白峰村は日本有数の豪雪地帯であり、農耕に適した平地が少ないため、古くから養蚕が重要な収入源となっていました。特に、二匹の蚕が共同で一つの繭を作る珍しい「玉繭」を利用して織られる牛首紬は、長い冬の間に女性たちが糸を紡ぎ、機を織って作り上げたものです。

江戸時代には白峰地方が天領となり、幕府の保護奨励策により牛首紬は全国的に名声を博しました。明治時代以降も養蚕と紬織の産業は発展を続けましたが、第二次世界大戦により一時はその姿を消しました。戦後、地元の熱意ある人々による復興努力が実を結び、現在では日本を代表する高級紬として広く愛されています。

昭和38年には白峰の地場産業の振興を目指した西山鉄之助により養蚕が再開され、紬工場が建設されました。これにより牛首紬の再興が成功し、今日に至るまで高い評価を受け続けています。このようにして、牛首紬は自然を生かし、自然に生かされる山村特有の暮らしの中で育まれた山の文化として、世代を超えて受け継がれてきたのです。

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