加賀友禅

加賀友禅の歴史~精緻な模様と鮮やかな色合い~

加賀友禅の歴史を年代別にかんたんに紹介

約500年前:加賀友禅の起源とされる無地染の「梅染」が始まる。
17世紀中頃:兼房染や色絵・色絵紋などの繊細な技法が確立される。
江戸元禄時代:宮崎友禅斎が金沢にて斬新なデザインの模様染を生み出し、友禅糊の技術を定着させる。
桃山末期〜江戸時代:加賀に約200軒の紺屋が存在し、加賀のお国染めとして種々の染色がなされる。
明治時代:養蚕の奨励と共に製糸や紬繊が発展。
昭和38年(1963年):牛首紬の再興に成功。
現代:加賀友禅は高級紬として広く愛され、繊細な日本の心と染めの心が息づいている。

加賀友禅の歴史(詳細)

加賀友禅は、石川県金沢市発祥の友禅着物であり、その歴史は約500年前にさかのぼります。この地域は絹や麻の産地として、また友禅染において重要な工程である「水洗い」に適した河川に恵まれていました。加賀友禅の起源は、加賀独特の染め技法であった無地染の「梅染」にあり、17世紀中頃には兼房染や色絵・色絵紋などの繊細な技法が確立されました。江戸元禄時代には、扇絵師であった宮崎友禅斎が斬新なデザインの模様染を生み出し、友禅糊の技術を定着させたことで加賀友禅は現在の形へと発展しました。

桃山末期から江戸時代にかけて、加賀には約200軒の紺屋が存在し、様々な染色技法が行われていたことが記録されています。加賀友禅の染色技法の確立は、宮崎友禅斎により江戸元禄の頃に始まり、加賀藩の文化振興政策のもとで色絵、色絵紋などの技法が加わり発展しました。その歴史は、江戸時代から近代、そして現代に至るまでの三つの大きな時代に分けられ、特に江戸時代には全国的に名声を博しました。明治の中期から昭和初期にかけて生産は拡大しましたが、経済不況と戦争の影響で一時衰退しました。しかし、戦後の努力により復興し、現在では日本を代表する高級紬として広く愛されています。

加賀友禅は五彩の色使いと写実的な草花模様が特徴であり、外を濃く中心を淡く染める「外ぼかし」や「虫喰い」の技法が用いられることも特色の一つです。金箔や絞り、刺繍など染色以外の技法をほとんど用いない点も京友禅との大きな違いです。加賀友禅には繊細な日本の心と染めの心が絶えず息づいており、その技術は世代を超えて受け継がれています。

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