山中漆器

山中漆器の歴史~自然な風合いと美しい木目~

山中漆器の歴史を年代別にかんたんに紹介

1573-1592 (安土桃山時代):山中漆器の歴史が始まり、木地師の集団が山中温泉上流の真砂に移住しました。
江戸時代中頃:会津、京都、金沢から塗りや蒔絵の技術を導入し、茶道具などの塗り物の産地として発展しました。
昭和33年 (1958年):木製漆器に加え、プラスチック素材を取り入れた近代漆器の生産が始まりました。

山中漆器の歴史(詳細)

山中漆器の歴史は、安土桃山時代の天正年間(西暦1573-1592)にさかのぼります。この時代に木地師の集団が、山中温泉の上流約20kmの真砂という集落に移住し、木地を挽き始めたことがその始まりとされています。当初は、温泉客への土産物として漆器が販売されていましたが、江戸時代中頃からは会津、京都、金沢から塗りや蒔絵の技術が導入され、木地とともに茶道具などの塗り物の産地として発展しました。特に、山中漆器は木地が特徴の産地であり、挽物木地の木目を活かした拭漆仕上げの椀を得意としています。

山中では、今も漆器作りや木地作りが盛んに行われており、木地轆轤(ろくろ)挽きの分野では、職人の質・量ともに国内トップの位置にあります。縦木取りをはじめとする独自の木地挽物技術が他産地の追随を許さないレベルにあり、生産された木地は日本各地の塗り物の産地に提供されています。加飾挽きや朱溜塗りなどさまざまな技法も開発され、山中漆器の多様性と技術の高さを示しています。

昭和33年(1958年)頃からは、木製漆器に加えてプラスチック素材を取り入れた近代漆器の生産が始まり、食器やインテリア用品、ブライダルギフトなど幅広い分野に製品が広がっています。これにより、山中漆器は伝統技術を基盤としつつも、現代の生活様式に適応する形で進化を続けています。

-山中漆器