金沢漆器

金沢漆器の歴史~品位を感じる豪華絢爛な伝統漆器~

金沢漆器の歴史を年代別にかんたんに紹介

1630年頃:加賀藩3代藩主前田利常が美術工芸の振興に力を入れ、高台寺蒔絵の巨匠五十嵐道甫をはじめとする名工たちを加賀藩細工所に招き、金沢漆器の技術を伝え始める。
江戸時代:五十嵐道甫や清水九兵衛などの蒔絵師により、金沢漆器の技術が加賀藩細工所や町方の門人、師弟に伝授され、金沢漆器が発展。貴族文化の優美さと武家文化が融合した独特の漆工芸となる。
昭和初期:200人以上の漆芸人口を誇るが、戦時下に激減。
戦後:経済復興とともに金沢漆器が見直され、後継者養成や展覧会の開催など積極的な活動が行われる。
現代:蒔絵師が大半を占め、木地師の育成に力を入れる方針が示される。

金沢漆器の歴史(詳細)

金沢漆器の歴史は、1630年頃に加賀藩3代藩主前田利常が美術工芸の振興を目的として、桃山文化を代表する高台寺蒔絵の巨匠、五十嵐道甫をはじめとする江戸や京都からの名工たちを加賀藩細工所に招聘したことに始まります。これらの名工たちによって蒔絵技術が伝えられ、加賀藩によって育成された金沢漆器は、貴族文化の優美さと力強い武家文化が融合した独特の漆工芸として発展しました。

五十嵐道甫や清水九兵衛などの蒔絵師による技術の伝授は、加賀藩細工所や町方の門人、師弟間で行われ、江戸時代から明治、大正、昭和を経て現代まで継承されてきました。昭和初期には200人以上の漆芸人がいましたが、戦時下に激減しました。戦後、経済復興とともに金沢漆器は見直され、後継者養成や展覧会の開催など積極的な活動が行われています。現在では、蒔絵師が大半を占めており、今後は木地師の育成に力を入れていく方針です。このように、加賀蒔絵として有名な金沢漆器は、時代を超えてその技術と美を守り、発展させてきた日本の漆工芸の優れた例です。

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