輪島塗

輪島塗の歴史~光沢感のある優美な表現が魅力の伝統漆器~

輪島塗の歴史を年代別にかんたんに紹介

縄文時代:輪島市隣接の七尾市「田鶴浜町三引遺跡」から漆器が出土。縄文時代から漆器作りが行われていたことを示す。
室町時代中頃(1393~1572):輪島に根来寺の僧侶が来て漆工技術を伝える。重蔵権現本殿の朱塗扉が日本最古の輪島塗とされる。
文明8年(1476年):輪島に塗師がいた記録があり。
天正10年(1582年):加賀藩主の能登巡行時、輪島塗の地の粉技術が使用されていた。
18世紀:沈金技法が完成。講組織による販売が始まり、輪島塗の需要が飛躍的に伸びる。
19世紀初め:会津から蒔絵技法が輪島にもたらされる。
明治2年(1872年):尾張から蒔絵師飯田善七が輪島に来て、多くの蒔絵師を育成し、輪島塗に豪華な加飾のイメージが定着。

輪島塗の歴史(詳細)

輪島塗の歴史は、その起源について複数の説があり、約1000年前の大陸からの伝来、15世紀初めに輪島に来た根来僧による普及、または近くの柳田村に伝わる合鹿碗が原型という説が存在します。しかし、文明8年(1476年)には輪島に塗師がいたことが明らかであり、天正10年(1582年)には輪島塗特有の地の粉技術が使用されていました。沈金技法は18世紀に完成し、蒔絵技法は19世紀初めに会津からもたらされました。

輪島塗の産地、石川県輪島市は、日本海にせり出た能登半島の北西部に位置し、輪島塗だけでなく、輪島の朝市や御陣乗太鼓、千枚田も全国的に有名です。室町時代から、紀州の根来寺の寺僧が輪島に来て漆工技術を伝えたとされ、江戸時代には堅牢な下地技術が徐々に確立され、能登の名物として知られるようになりました。特に、江戸時代前期からは地の粉技術が生まれ、江戸時代中期には沈金技法が確立され、江戸時代後期には蒔絵技法が導入されました。明治2年(1872)には尾張から来た蒔絵師の飯田善七の影響で、蒔絵師が多く誕生し、明治から大正時代にかけて豪華な加飾のイメージが定着しました。

販売面では、漆器の販売は塗師屋が商品見本を背負って全国各地を行商し、18世紀からは講組織による販売が加わり、北前船による全国への運搬も加わって輪島塗の名声を広げていきました。縄文時代から漆器作りが行われていたという田鶴浜町三引遺跡の発見や、室町時代の重蔵権現本殿の朱塗扉が日本最古の輪島塗とされるなど、輪島塗は長い歴史を持ち、多様な技術の導入と発展を遂げてきました。

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