信楽焼の歴史を年代別にかんたんに紹介
約1250年前:信楽焼の始まり。
鎌倉時代中期(約750年前):信楽焼が始まり、初期の信楽焼は穴窯で日用必需品を製作。
室町時代〜桃山時代(約550年前):茶道の始まりと共に茶人に愛され、信楽焼が茶道具に使われるようになる。
13世紀頃:信楽での開窯、常滑の影響を受ける。
16世紀:京都に近い利点を生かし、やきものの供給を行い、産地として興盛。
天平14年:聖武天皇が紫香楽宮の造営に着手し、布目瓦や汁器などの須恵器を焼く。
昭和30年代前半:火鉢生産が盛んになり、主製品となる。
昭和51年:伝統的工芸品として指定される。
信楽焼の歴史(詳細)
信楽焼は、約750年前の鎌倉時代中期に始まり、日本六古窯の一つとして1250年の伝統を誇る日本最古の陶磁器産地です。初期の信楽焼は穴窯で焼かれた日用必需品から始まり、室町時代から桃山時代にかけての茶道の始まりと共に茶人に愛され、茶道具として使用されるようになりました。甲賀市にある信楽の窯元は、滋賀県南部に位置し、大阪や名古屋から約100kmの距離にあります。この地域は、琵琶湖の源流を含む水源涵養や水質保全に重要な地として知られています。
信楽焼の土壌は約6,500万年前に形成された花崗岩が母岩となり、約400万年前には伊賀付近に古代湖が存在し、その後北上して現在の琵琶湖となりました。この湖底に堆積した古琵琶湖層には、花崗岩や流紋岩の風化物が流れ込み、陶磁器製造に適した粘土質が形成されました。信楽焼は四方を山に囲まれた土地の利点を活かし、宇治や大阪、伊賀への運搬ルートを確立しました。特に16世紀からは京都に近い地の利を生かし、やきものの供給を行い産地として興盛しました。
その始まりは、天平14年に聖武天皇が紫香楽宮の造営に着手した際、布目瓦や汁器などの須恵器を焼いたことにあります。古代日本の歴史では、信楽は朝鮮文化の影響を受け、近畿地方の中心に位置し、古代の主要道としての役割も果たしていました。室町・安土・桃山時代には茶陶が盛んになり、江戸時代には茶壷の生産が盛んになりました。明治時代にはうわぐすりの研究が進み、火鉢生産が主製品となり、昭和30年代前半まで続きました。その後は植木鉢や花瓶なども生産されるようになりました。
最近では、傘立て、タイル、庭園用品、食器、置物などが生産されており、中でも「狸」の置物は特に有名です。昭和51年には伝統的工芸品として指定され、信楽は陶器の町として全国に知られるようになりました。これらの情報は、信楽焼が日本の陶磁器産業において重要な位置を占めていることを示しています。