京黒紋付染の歴史を年代別にかんたんに紹介
10世紀:黒染の歴史が始まる。当時は墨染めが行われていた。
戦国時代末期:山桃から抽出された染料を使った黒染め技法が生まれる。
17世紀:江戸時代に黒紋付染として技法が確立される。
明治時代:紋付羽織袴が男性の第一礼装とされ、黒紋付染の需要が増加。
20世紀初頭:黒染めのピーク時に天然染料を使った手間のかかる染色作業が行われる。
大正時代:新しい染色技術と合成染料が伝わり、黒浸染、三度黒、黒染料などの技法が確立。
1979年:京黒紋付染が国の伝統的工芸品に指定される。
京黒紋付染の歴史(詳細)
京黒紋付染の歴史は、古く平安時代まで遡り、10世紀頃には既に黒染めが行われていました。この技法は、17世紀初頭、特に江戸時代に黒紋付染として確立しました。京都が都として制定されてから約1200年が経過した永年の間に、四季折々の自然環境と豊かな水資源が、色彩感覚の豊かな染色技術を生み出しました。
当初、黒染めは墨染めとして行われ、戦国時代の終わりごろには、山桃から抽出された染料を用いた技法が開発されました。江戸時代には、檳榔子染として知られる技法が主流になり、この深い黒色の染料は、タンニンを含むため、絹地を刀で切れないほど強くする効果があったと言われます。この技法は、僧侶の法服や武家の紋服として用いられ、明治時代に入ると、黒紋付羽織袴が男性の第一礼装とされ、現代の冠婚葬祭における礼服として広く普及しました。
1900年代初期には、黒染めの技法はさらに進化し、天然染料を使用して18回以上も繰り返し生地を染め重ねるという手間のかかる作業が行われていました。大正時代にヨーロッパから新しい染色技術と合成染料が伝わると、京黒紋付染は新たな発展を遂げ、黒浸染、三度黒、黒染料などの技法が確立されました。そして、1979年には、京黒紋付染は国の伝統的工芸品に指定され、その深みのある黒色は、結婚式や葬儀などのお祝い事や冠婚葬祭、さらには歌舞伎、能、祇園の芸妓、大相撲などの伝統芸能の衣装において、第一礼装として着用されています。この長い歴史を通じて、京黒紋付染は時代の流れと共に技術と美意識の追求のもと、発展を遂げてきました。