京表具の歴史を年代別にかんたんに紹介
3~6世紀:製紙法の改良により紙が普及。中国で「書画を掛け拝する」という意味の『挂軸』が出現。
6世紀初頭:表具の技法が仏教の伝来とともに日本へ伝わる。
701年:大宝律令により図書寮が設けられる。
724~749年:聖武天皇の在位期間に写経司が設けられる。
平安時代:唐から多くの仏画や曼荼羅がもたらさ<b>れ、貴族間で図絵供養が盛んになる。
鎌倉時代:宋、元の文化が日本へ流入。宋の版経が渡来し、経師は木版印刷を手掛けるようになる。
室町末期から桃山、江戸時代:表具は、床の間の発生や茶道の興隆などと深く関わりながら発展し磨かれていく。
平安時代から現代:京都を中心に表具技術が発展し続け、京表具はその技術と美意識で全国の指導的地位を保持。
京表具の歴史(詳細)
「京表具の歴史」についての情報は、京都を中心に発展した表具(または表装)の伝統に深く根差しています。表具は裂地や和紙を使用し、加湿と乾燥を繰り返す複雑な工程を経て完成される技術であり、古くから芸術や宗教が盛んな京都で発展しました。その歴史は、中国から伝わった仏教とともに始まり、経巻に施されたのが始まりであるとされています。仏教の広まりに伴い、仏画像の礼拝用として掛軸などが使用され始めました。
表具は襖、壁装などの日常生活に密着した実用的な分野から、掛軸、額装、屏風、画帖、巻物などの美術工芸的なもの、そして高度な技術と豊かな経験を要する古美術の修復に至るまで、幅広い用途に用いられます。表具は独立したものではなく、書画を鑑賞する手段として、また書画を保存する役割も担っています。書画との調和と表具自体の品位を損なわないよう工夫することが要求されます。
京都の美的環境と洗練された美意識、湿度の高い盆地の風土は表具の発展に適しており、床の間の発生や茶道の興隆などと深く関わりながら、室町末期から桃山、江戸時代にかけて発展し磨かれてきました。京表具の歴史は長く、京都が日本の都として栄えた時代から、即ち日本における表具の歴史そのものと言えます。発祥は中国に遡り、製紙法の改良により紙が普及した3~6世紀頃には「書画を掛け拝する」という意味の挂軸が出現しました。
京表具の技法は仏教の伝来と共に日本へ伝わり、大宝律令における図書寮の設置や聖武天皇の時代に設けられた写経司などがその証左です。表具師の前身である装潢手は料紙を調え、界線を引き、軸や表紙を装し経典に仕立てる役職でした。平安時代には唐から多くの仏画や曼荼羅がもたらされ、貴族間で図絵供養が盛んになりました。
宋、元の文化が日本へ流入する鎌倉時代には、宋の版経が渡来し、経師は木版印刷を手掛けるようになりました。また、宋との交流は経師職の分化に大きな影響を与え、禅宗では伝法の具として高僧の肖像画や墨蹟を弟子たちに与えました。宋で確立された表具の式や「裱褙(ひょうほえ)」という名称もこの時期に伝わりました。
茶の湯との関係では、茶道が宋から伝わった闘茶を通じて鎌倉や南北朝時代の武士間で流行し、茶席での掛物の使用が定着しました。北山文化の時代には、宋・元・明の書画や器物が輸入され、新しい画幅が掛物に加わりました。足利義満の時代には掛物が芸術として鑑賞され始め、床の間が生み出されました。
「京表具」の技術は今日も全国における指導的な地位を保ち、仏画表具をはじめとする高級な軸装や額装、文化財など古美術の修復において高い水準を誇っています。平安時代以来、京都は紙屋川で漉かれた官製の和紙や諸国から集まる良紙、西陣織の表具裂など、表具製作に必要な優秀な材料に恵まれ、その風土的条件も精度の高い表具を仕上げるのに役立ってきました。この長い歴史と伝統の中で、京表具はその技術と美意識を守り続けています。