大阪金剛簾の歴史を年代別にかんたんに紹介
7世紀頃:「万葉集」に簾に関する和歌が登場し、貴族の生活に簾が使われていたことが示される。
1655年頃:新堂村(現在の富田林市若松町)で竹細工が始まり、大阪金剛簾の起源とされる。
1700年頃:武士が新堂村に来て、籠などを作り、村人に伝えたことから、大阪金剛簾の歴史が始まる。
1948年:河内長野で大量生産を可能にするカッター方式が考案される。
1960年頃:簾産業が全盛期を迎える。
1985年:「大阪の伝統工芸品」の指定を受ける。
1994年:大阪府知事認可「大阪簾工業協同組合」が設立される。
1996年:経済産業大臣から「伝統的工芸品」の指定を受ける。
2004年:後世に簾を伝承するため「すだれ資料館」が設立される。
大阪金剛簾の歴史(詳細)
大阪金剛簾の歴史は、日本における簾の使用が7世紀頃、貴族の生活においてすでに取り入れられていたことから始まります。この時期は、日本最古の和歌集「万葉集」に額田王が天智天皇を想って作った歌に簾を動かす様子が詠まれており、簾の使用が古くからあったことが伺えます。大阪金剛簾の具体的な起源は1700年頃に新堂村(現在の富田林市若松町)にて、武士が籠などを作り始め、その技術が村人に伝えられたことに始まりますが、1655年頃には竹細工が作られ始めたとも伝えられており、金剛山の麓に自生する上質な真竹が利用されていました。
江戸時代には、簾の製造技術が発展し、1948年には河内長野で大量生産を可能にするカッター方式が考案され、簾の製造に大きな影響を与えました。1960年頃には簾産業は全盛期を迎え、大阪府下の富田林・河内長野・大阪市浪速区の3地域に簾業者が集中しました。特に富田林・河内長野地域では竹製すだれが、浪速区では葦すだれが製造され、伝統的な範囲内での高級化や新しい製品分野の開拓が特徴です。
1985年には「大阪の伝統工芸品」の指定を受け、1994年には大阪府知事認可「大阪簾工業協同組合」が設立され、1996年には経済産業大臣から「伝統的工芸品」の指定を受けました。2004年には後世に簾を伝承するために「すだれ資料館」が設立され、現在では伝統的な製法に加えて、近代的なデザインを取り入れた製品の開発も行っています。大阪金剛簾の歴史は、技術の進化、産業の全盛期、そして伝統工芸品としての認定に至るまでの発展を遂げています。