因州和紙

因州和紙の歴史~時代の変化に対応する由緒正しき和紙~

因州和紙の歴史を年代別にかんたんに紹介

8世紀初頭(奈良時代)
- 因州和紙が使用され始めたとみられる。

905-927年(平安時代・延喜式編纂期)
- 因幡の国から朝廷に紙が献上された記録がある。

江戸時代初期
- 朱印船貿易で因州和紙が海外へ輸出され始める。

慶長時代
- 因州和紙が鳥取藩の御用紙として保護・統制を受ける。

明治時代
- 海外からの技術導入や原料の見直しにより生産性が飛躍的に向上。

昭和時代
- 洋紙の生産力向上と生活様式の変化により和紙需要が激減するも、新製品開発に成功。

2013年
- 因州和紙が国の伝統的工芸品に指定される。

2020年度
- 「日本伝統工芸士会会長賞」を受賞。

因州和紙の歴史(詳細)

因州和紙は約1300年の歴史を持つとされ、その起源は奈良時代に遡るとみられています。奈良時代の正倉院文書に因幡の国で抄紙されたと推測される紙が保存されており、平安時代の「延喜式」には因幡の国から朝廷に紙が献上された記録があります。江戸時代初期には朱印船貿易で海外へ輸出され、因州和紙の原材料である楮や雁皮が重要視されていたことが亀井侯文書に記されています。江戸時代には鳥取藩の御用紙として、また庶民の日常用紙としても広く生産されていました。

明治時代に入ると、海外の漂白技術導入や三椏殖産奨励、他県からの技術導入により生産が飛躍的に向上し、大正末期までその勢いは続きました。しかし、昭和に入ると洋紙の生産力向上や生活様式の変化により和紙需要は激減しました。それでも、第二次大戦中には楮紙抄造技術が政府から気球原紙の生産依頼を受けるほど認められていました。

戦後はコピー機等の事務機の台頭や生活様式の変化により主力製品であった事務用薄葉紙や障子紙等が大きな打撃を受けました。そのため、新製品として画仙用紙や工芸紙、染色紙を開発し、特に手漉きの高級画仙用紙は現在日本有数の生産量を誇っています。因州和紙は「因州筆切れず」と言われ、その書き心地や墨の減りの少なさから全国の和紙愛好家や書道家に愛用されています。また、伝統的技術を基に立体形状の紙や機能性和紙など新製品の開発に挑戦し続けており、2013年には国の伝統的工芸品に指定され、2020年には日本伝統工芸士会会長賞を受賞するなど、その技術と美しさが高く評価されています。

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