阿波和紙の歴史を年代別にかんたんに紹介
以下は、このチャットで共有された「阿波和紙の歴史」に関する情報を元にした年表です。
- 約1300年前(650年頃):忌部(いんべ)族が阿波の国に入り、麻や楮を植えて布や紙の生産を始める。
- 807年:「古語拾遺」に阿波和紙の始まりに関する記録が記される。
- 江戸時代:阿波藩によって阿波和紙の産業が保護奨励され、藩札や奉書、画仙紙などの御用紙として使用される。特に藍染め和紙が評判となる。
- 1893年:シカゴ万博にて阿波和紙が出品され、賞状を授与される。
- 1900年:パリ万博にて阿波和紙が出品され、賞状を授与される。
- 明治時代(最盛期):吉野川流域に約500軒の紙漉き家が存在。
- 1970年:阿波和紙が「徳島県無形文化財」に指定される。
- 1976年:国の「伝統的工芸品」に指定される。
- 1989年:「阿波和紙伝統産業会館」が開館。
- 昭和51年(1976年)12月:国の伝統的工芸品に指定される。
この年表は、「阿波和紙の歴史」に関する主要な出来事とその時系列を簡潔にまとめたものです。
阿波和紙の歴史(詳細)
阿波和紙の歴史は、約1300年前にさかのぼります。この時期、朝廷に仕える忌部(いんべ)族が阿波の国(現在の徳島県)に入り、麻や楮を植えて布や紙の生産を始めました。この始まりの記録は、807年に編纂された「古語拾遺」に記されています。忌部族の始祖である天日鷲命(あまのひわしのみこと)は、「紙の始祖神」として崇められています。
江戸時代には、阿波藩によって阿波和紙の産業が保護奨励され、藩札や奉書、画仙紙などの御用紙として重宝されました。特に、特産の藍を使った藍染め和紙が評判となり、全国に知られるようになり、藩の財政を潤しました。阿波和紙はその高い技術で海外でも評価され、1893年のシカゴ万博や1900年のパリ万博に出品され、賞状を授与されました。
明治時代には紙の需要の増加により阿波和紙は最盛期を迎え、吉野川流域には約500軒の紙漉き家があったといわれています。しかし、大正時代以降、生活の変化や大量生産できる安価な紙が出回るようになり、和紙の需要が激減し、産業は衰退の一途をたどりました。
厳しい状況の中でも、阿波和紙の伝統と技術の継承、新たな開発と普及は続けられ、1970年には「徳島県無形文化財」に、1976年には国の「伝統的工芸品」に指定されました。1989年には「阿波和紙伝統産業会館」が開館し、阿波和紙の啓蒙と継承を目的として、展示や紙漉きの見学、体験ができるようになりました。また、国内外のアーティストが阿波和紙を使用した作品を生み出し、その技術と美しさが絶大な支持を受けています。
阿波和紙は、水に強く破れにくいこと、独特の美しさで知られ、インテリアやオフセット印刷が可能な文具など、時代に合った製品が作られています。昭和51年12月には、その伝統と技術が再認識され、国の伝統的工芸品に指定されたことで、その価値が高く評価されています。