砥部焼

砥部焼の歴史~繊細で美しい紋様が特徴の伝統陶磁器~

砥部焼の歴史を年代別にかんたんに紹介

6~7世紀 - 大下田古墳から須恵器の窯跡が発見される。
奈良・平安時代 - 「伊予砥」が中央に知られる。東大寺の「正倉院文書」や「延嘉式」に記載あり。
1775年(安永4年) - 大洲藩主、加藤泰侯により砥部に磁器作りが命じられる。
1777年(安永6年) - 杉野丈助が磁器焼成に成功。砥部焼の誕生。
1818年(文政元年) - 向井源治が川登陶石を発見。
1839年(天保10年) - 栄蔵、類助、宗兵衛が長崎にて絵薬を求める。
1848年(嘉永元年) - 井岡太蔵がトンバリを使った窯を作る。
1851年(嘉永4年) - 城戸源六が素焼窯を考案。この頃、太鼓型の大型水車が登場。
1853年(嘉永6年) - 坪内家の水車帳に17の窯元を記載。
1878年(明治11年) - 伊藤五松斎が型絵染付を広める。
1885年(明治18年) - 砥部焼が清国に輸出。
1888年(明治21年) - 下浮穴、伊予両郡陶磁器同業組合設立。
1890年(明治23年) - 向井和平が淡黄磁を創始。
1893年(明治26年) - 淡黄磁がシカゴ世界博で一等賞を獲得。
1906年(明治39年) - 陶器補習学校開校。
1942年(昭和17年) - 杉野丈助の功績をたたえる記念碑建立。
1953年(昭和28年) - 柳宗悦、浜田庄司らが指導のため砥部を訪れる。
1976年(昭和51年) - 砥部焼が国の伝統的工芸品に指定される。
1977年(昭和52年) - 砥部磁器創業200年祭を行う。
1984年(昭和59年) - 『砥部焼まつり』が始まる。
1989年(平成元年) - 砥部焼伝統産業会館オープン。
1995年(平成7年) - 砥部焼の地球儀が国連欧州本部に設置される。
2005年(平成17年) - 砥部焼が愛媛県の無形文化財に指定される。

砥部焼の歴史(詳細)

砥部焼の歴史は、砥部の地が古くから焼き物の製造に適した地勢と豊富な燃料資源を持っていたことから始まります。6~7世紀の須恵器の窯跡が大下田古墳から発見されたことや、奈良・平安時代には「伊予砥」と呼ばれる砥石が中央にも知られ、東大寺の「正倉院文書」や「延嘉式」に記載があるなど、古代から砥石の生産が盛んでした。
砥部焼としての磁器製造は1777年に始まり、加藤泰候公の時代、大洲藩が藩の財政立て直しの一環として磁器作りを奨励したことが起源です。杉野丈助が磁器焼成に成功し、砥石屑を用いた白地に藍の砥部焼が生まれました。その後、技術革新や新たな材料の発見、京都や唐津、瀬戸からの新技術の導入により、砥部焼は大きく発展しました。特に、明治時代には輸出も盛んになり、海外では「伊予ボール」として親しまれました。昭和51年には国の伝統工芸品に指定され、平成17年には愛媛県の無形文化財にも登録されました。
現在では、白磁、青磁、染付、鉄釉などの伝統技術を基にしながらも、デザインや形状に創意工夫を凝らした作品が生産されており、日用品としても装飾品としても全国に根強いファンがいます。

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