川辺仏壇の歴史を年代別にかんたんに紹介
12世紀初期 - 川辺仏壇が最初に造られたとされる時期。
1336年 - 現存する黒塗りの位牌が作られる。
1597年 - 島津藩主による一向宗の禁制が行われ、多くの仏像・仏壇が失われる。
1200年頃 - 河辺氏の菩提寺が建てられ、仏教が盛んになる。
1597年 - 薩摩藩による浄土真宗の禁制が始まる。
1876年(明治9年)9月 - 信教の自由が許され、公然と仏壇製作が始められる。
1975年 - 川辺仏壇が伝統的工芸品として指定される。
2007年 - 地域ブランドの保護と活性化を目的とした、特許庁の地域団体商標に登録される。
川辺仏壇の歴史(詳細)
川辺仏壇の歴史は、鹿児島県の川辺町とその周辺地域における仏教信仰の盛んな背景に根ざしています。1336年に作られた黒塗りの位牌が現存し、また清水摩崖仏軍と呼ばれる史跡が残っていることから、古くからこの地域で仏教が重要な役割を果たしてきたことがわかります。特に12世紀初期には、川辺仏壇が最初に造られたとされ、仏教の繁栄が見て取れます。
しかし、1597年に島津藩主によって一向宗が禁制され、明治初期の廃仏毀釈により多くの仏像・仏壇が失われました。このような厳しい時代を経ても、信仰心は根強く残り、隠れ念仏として密かに信仰が続けられました。その象徴として、見かけはタンスのようで扉を開くと仏壇が内包された形式や、洞窟を模したガマ型仏壇が作られるようになりました。これらは、信教の自由が許された明治9年(1876年)以降に公然と製作が始められ、現代の川辺仏壇の基礎を築きました。
その後の仏壇産業の隆盛は、技術の発展と他産地との交流・修行によって促進されました。特に、隠れ念仏の伝統を引き継ぎながらも、公然と仏壇製作が始められたことは、川辺仏壇の特色ある様式、いわゆる「ガマ壇」に影響を与えています。1975年に伝統的工芸品として指定され、2007年には地域ブランドの保護と活性化を目的とした特許庁の地域団体商標に登録されるなど、川辺仏壇はその歴史的価値を認められています。
このように、川辺仏壇は、仏教信仰の歴史的変遷、厳しい試練を乗り越えてきた信仰心の表れ、そして技術の発展と地域間の交流によって形成された鹿児島県の重要な文化遺産です。