陶器や磁器は、素朴な自然の温かみが感じられ、それはプラスチックでは絶対に味わうことの出来ないものです。
プラスチック製品に比べ値段が張るにも関わらず、現在でもなお愛され、使い続けられているのは、その魅力を充分にご存知の方も多いからだと思います。
しかし、そんな陶器や磁器にも欠点はあります。
皆さんがきっと一番気にするのは「割れてしまう」ことではないでしょうか。
小さなお子さん用に購入する場合には、割れてしまうことを恐れて、なかなか高いものを買えない…と考える方も少なくないでしょう。
しかし皆さん、実は割れた陶器や磁器を修復する技術が、日本にはあるということをご存知ですか?
時には、割れた器を修復することで元のものよりも深い味わいがでる、と評価が上がることもあるといいます。
今回はそんな日本の誇るべき技術、「金継ぎ」について紹介させていただきます。
「金継ぎ」とは?
金継ぎというのは、割れてしまったり、かけてしまった陶器のお皿を修復する日本独自の技術です。割れてしまった・かけてしまった部分を漆で接着し、漆の上に金粉をまぶして修復します。
ただ修復するだけではなく、元の皿の価値を更に高めると考えられた時代もあり、その修復の跡は「景色」と言ってもてはやされました。金継ぎはただの「修復技術」ではなく、「芸術」という性格を同じくらい、もしくはそれ以上に強く持っていました。
割れた皿が元の皿よりも価値が高いなんて、現代の私たちからすれば少しおかしなことのように感じられますよね。壊れてしまったものを修復して使おうと考える柔軟な発想力と、そこに美を見出す日本人のセンスに脱帽です。
「金継ぎ」の歴史
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金継ぎは、茶の湯が盛んになった室町時代に、蒔絵師が茶の湯で使う茶碗などを修復し始めたことから生まれたと言われています。漆の上から金粉をまぶすのは、蒔絵の技法をそのまま使って修復するからです。
その後、江戸時代には「焼継ぎ」と言って、石灰やふのりなどをまぜたもので割れた陶磁器を修復する新たな技術が生み出され、それを専門とする職人、「焼継師」も現れたそうです。
この焼継ぎが金継ぎと大きく異なるのは、金継ぎは芸術面での性格が強かったのに対して、焼継ぎにはそういった性格があまり感じられないという点です。それは、この焼継ぎが生まれた状況や目的に由来すると考えられます。
江戸時代は、ものを大切に使い続ける風潮が強く、ものを大切に使う・修理するための職業が多い時代でした。焼継ぎはそういった文化の中から生まれた技術であり、芸術性よりも実用性といった性格が強く、実際、金継ぎに比べると、見た目もあまり美しいとは言えないものが多かったりします。
その後、時が経つにつれて大量生産型の社会へと変わっていってしまうに伴って、この焼継ぎの技術は廃れていってしまうことに。同じく金継ぎも、大量生産型社会の波に押され、一部の愛好家以外には見向きもされなくなってしまいました。
最近では、ひとつのものを大切に使う精神とその芸術性が徐々に見直されつつありますが、まだまだその存在を知らないという方は非常に多いのではないでしょうか。
私も、実際調べるまで何も知らず、こんな技術があるのかと驚いたほどです。
日本古来の伝統芸能には、まだまだたくさんの素晴らしいものがありますが、ほとんどが機械化・大量生産型の社会の中で埋もれてしまってその存在すら知られていないものばかりです。
今まであまり興味がなかったという方にも、これをきっかけに少しでも興味を持っていただければ、と思います。
まずは多くの人が「知る」ことが、こういった日本古来の技術を守ることにもつながるのではないかと思います。
少しでも気になった皆さん、ぜひぜひ調べてみて下さいね^^