みなさん、波佐見焼をご存知でしょうか?
波佐見焼は、長崎県波佐見町で作られている上質な磁器です。
九州地方には、他にも有田焼や伊万里焼といった有名なものがあるので、それらの陰に潜んでしまっている感がありますが、波佐見焼にも有田焼や伊万里焼に負けず劣らない長い歴史と魅力があるんです。
今回は、そんな波佐見焼についてご紹介したいと思います。
400年の歴史!?
波佐見焼の始まりは、今の長崎県の中央に位置する大村藩が、文禄・慶長の役(1592・1593)で朝鮮から帰国するときに、朝鮮から陶工を連れて帰ってきたことに由来します。
その陶工は、慶長3年(1598)に大村藩内で登り窯を作った、と言われているので、波佐見焼には約400年の歴史がある、ということになります。400年も前から途絶えることなく、現代に至るまで製造が続いている、と思うととても感慨深いですね。
庶民の食文化を変えた!
波佐見焼は、江戸時代を通してとても盛んに製造されました。そして、当時の庶民の食文化を変えたと言っても過言ではありません。
例えば、「くらわんか碗」という波佐見焼の日常食器があります。これは、少し粗い素地とシンプルな絵柄、丈夫で壊れにくい、手軽に手に入る、というのが特徴の器です。
当時の庶民にとって、陶磁器といえば、「高価で手の届かない」イメージがあったようですが、この「くらわんか碗」の登場により、庶民の食生活が一気に変わりました。
現代の私たちも、食器は陶磁器のものを使うことが多いと思いますが、その文化の底には、波佐見焼の存在があったのですね!意外な発見です!
「餅くらわんか、酒くらわんか・・・」などと言い酒や食べ物を売るくらわんか舟が名物となり、
くらわんか舟ではくらわんか茶碗と呼ばれる器が用いられた。
海外でも活躍する波佐見焼
出典:www.tasaburo.jp
もう一つ、波佐見焼の商品「コンプラ瓶」というものをご紹介します。
こちらは、燗付徳利に似た瓶で、オランダ・ポルトガル人を相手にした仲買商人「金富良商社」によって扱われていたため、このような名前で呼ばれていたようです。
「コンプラ瓶」は江戸時代終わりから明治大正に至るまで、多く製造されていたようなのですが、ここで特筆すべきは、「コンプラ瓶」は長崎の出島を通じて、盛んに輸出され、波佐見焼の存在を海外にまで知らしめる一助にもなっていた、ということです。
かの有名なフランスのルイ14世や、ロシアの大文豪・トルストイも、波佐見焼を愛用していた、と言われているんですよ!波佐見焼の勢力はまさにワールドワイド!すごいですね!
おわりに
いかがでしたか?
波佐見焼って意外とすごい!と思っていただけたなら幸いです!
この記事を読んで、波佐見焼にご興味を持たれた方がいらっしゃいましたら、波佐見焼を実際に手にとってみるのもいいかもしれませんね!
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