輪島塗

輪島塗の歴史を簡単に解説【江戸時代以降の産業の発展や現在の取り組みなども紹介】

輪島塗の生産地である石川県輪島市は能登半島の北西部にあります。2018年時点での人口は約2万7千人。輪島では縄文時代から漆器作りが行われていたと言われており、江戸時代の産業で大きく発展をとげた歴史があります。

輪島塗は120以上の工程を経て完成する手間と時間のかけられた工芸品です。その技法は古くから変わりません。

漆器に彫りを入れた部分に金を入れ込んだ「沈金」という技法や、金粉と銀粉を用いた「蒔絵」という技法が有名です。国指定の伝統工芸品にもなった艶のある、美しい装飾の輪島塗は今日でも日本、世界中で多くの人気を集めています。その漆塗りの技術、漆工芸品は重箱や器、箸など多岐の食器に渡ります。また仏壇などの一部でも使われていますね。

縄文時代に漆器が出土してから、輪島塗はどのようにして発展していったのでしょうか。世界中から大注目されている、名品の歴史を紐解きます。

輪島塗の特徴と作り方を解説

まず輪島塗の特徴と作り方を見ていきましょう。

伝統工芸品輪島塗とは

輪島塗は石川県輪島市で作られている漆器です。漆器とは漆を塗った器のこと

輪島塗は国指定の伝統工芸品ですが、「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」により名乗るためには特別な作り方をしている必要があります。

後ほど細かく説明しますが伝統工芸輪島塗である要件を簡単にまとめると、以下の3つの条件を満たして「輪島で作られる漆器」が輪島塗と呼ばれています。

●素地が木地であること 
●下地塗りの後に布着せをしていること
●地の粉下地であること

輪島塗の特徴は「美しい装飾」と「強度の高さ」

輪島塗の大きな特徴は、金や銀に輝く装飾と強度の高さです。他の漆器に比べ強度が頑丈なのには理由があります。それは、輪島市でしか採れない「地の粉」を使用しているためです。

地の粉とは、珪藻土を火で蒸し焼きにして細かく粉砕したものをいいます。

珪藻土には細かい穴が数多く空いているのでそこに漆が入り込み、より高度な輪島塗を仕上げることができます。珪藻土自体は堅いガラス質なので、使用することにより強度の強い輪島塗を作ることができます。

断熱性にも優れた珪藻土が輪島塗の品質を支えているのです。

輪島塗の作り方について

手間数の多い製作過程も輪島塗ならではといえます。輪島塗の魅力は美しいデザインといえます。漆塗りを仕上げるまでに20工程以上、総手数では120回にも及ぶ手作業で作られているのです。

この手間とコストをかけての製作は江戸時代から変わることなく現在でも続いています。

●ブランドとしての価値を高める
●安価に作ることに重きをおかない
●手間もコストもかかる基本となる下地を使用

これらで統一したことで、技術を守ってきたのが輪島塗の特徴なのです。

詳しい理由を後半で探っていきます。

輪島塗の歴史:起源から室町時代

輪島塗はいつ誕生したのでしょうか。輪島塗の誕生秘話には諸説あり、はっきりしたことは今でも分かっていません。ただ、海に囲まれた輪島地方の特徴が、輪島塗を発展させていく理由になることははっきりしています。

輪島塗の発祥は縄文時代?

輪島塗の歴史をたどると、縄文時代にまで遡ると言われています。輪島市の南に位置する石川県七尾市に「田鶴浜町三引遺跡」があり、遺跡から縄文時代に作られたとされる漆器が出土されました。

縄文時代から漆を使用した器を作っていた点から、輪島市周辺の地域で縄文時代から漆器作りが行われていたことが分かります。

輪島地方の特徴

輪島で漆器作りが行われるようになったのは、輪島塗で使用される「地の粉」の採取が行われていたからです。輪島塗では能登半島で採取される珪藻土を、焼成して粉末にしたものを使用しています。地の粉が取れた輪島地方で丈夫な輪島塗が生産された点から、輪島地方と輪島塗の関係性は深いですね。

輪島塗の起源

輪島塗の起源については、いくつかの説があります。室町時代に和歌山県の根来寺の僧が伝えたという説が有力ですが、戦国時代に豊臣秀吉から逃れた僧が伝えたという説や、過去に日用漆器として使用されていた器が発展し、輪島塗になった説もあります。

室町時代の器作り

全国的に古くから漆の樹液を塗った漆器は作られていましたが、輪島塗の原型となる器が現れたのは室町時代のことです。室町時代には輪島塗の基となる知識や高級さを感じさせる美しい漆塗りの技術があったのでしょう。

輪島塗の技術の伝来には「輪島の人が地方に出向いて技術を持ち帰った」など諸説あり、はっきりとは分かっていません

輪島塗の歴史:変革期を迎える江戸時代

ここからは江戸時代に発展した輪島塗の歴史を詳しく解説していきます。どのようにして一大産業に発展していったのでしょうか。特徴的な技法や、今でも続く分業制にも触れながら紹介していきます。

江戸時代前期

江戸時代に入り、輪島で取れる「地の粉」という珪藻土の粉を使用し始めたことで、輪島塗は産業として確立し始めます。具体的には、珪藻土を漆の樹液に混ぜ込み下地を強化する技術が生まれたことで、輪島塗の丈夫さが上がりました。また、珪藻土は漆と相性がよく、漆の美しさを崩さない良さがあります。

この技術によって器の上から塗った漆の輝かしい滑らかさだけでなく、輪島塗特有の丈夫な漆器が生み出されたのです。加えて、海に面した輪島地域は、海路を利用した交易により全国に輪島塗が広まり、多くの人が注目するようになりました

江戸時代中期

江戸時代中期には、「沈金」という輪島塗の伝統技法が誕生します。

沈金の手順を簡単にまとめました。

●塗りが終わった漆器の表面にノミで彫刻を施す
●彫刻に漆の樹液をすりこむ
●樹液をすり込んだところに、金または銀の金属の粉を沈み込ませる

当時の輪島塗は、黒色や朱色などの無地のものがほとんどでしたが、沈金の技術によって美しい装飾の輪島塗が増えていきます

金属粉は樹液によって表面に接着するので、色落ちすることもなくデザインすることができ、重宝されていました

輪島塗の発展に欠かせなかった「塗師屋の存在と分業制」

輪島塗には細かく分けると120を超える多くの工程があり、作業効率を高める目的で1つの工程を同じ職人がやり続ける分業制が採用されています。また、1つの工程を同じ職人がやり続けるため、完成した輪島塗一つ一つの質が上がるメリットがあるためです。

江戸時代、日本中にその名を広めた輪島塗ですが、ここまで有名になったのは「塗師屋」と呼ばれる立場の人の活動があったからです。塗師屋とは、輪島塗の分業しているそれぞれの職人たちをまとめる立場の人のことをいいます。

塗師屋は、富裕な農家や商家を中心に自らが作成した漆器を実際に見てもらうことで輪島塗の良さをアピールする販売方式を始め、輪島塗は安定した収益を生み出すようになりました。多くの職人をまとめる役割の人がいたからこそ、職人たちが欠けることなく、一致団結して大きく発展していったのです。

また塗師屋は、顧客の要望を一番に考え、オーダーメイドでの漆器づくりも力を入れており、そのスタイルは現在も受け継がれています

江戸時代後期

江戸時代後期には、現在の福島県西部にあたる会津から蒔絵師が移り住みます。そこで輪島塗に「蒔絵」の技術が確立されました。

蒔絵とは塗りを施した漆器の表面に、漆の樹液で模様をかき、金や銀の金属粉を蒔いて描く技法のことです。模様の上にキラキラと輝く金属粉が美しく、輪島塗はさらに豪華に、煌びやかになっていきました。

輪島塗発展に欠かせなかった「分割払い」

輪島塗は「分割払い」を導入しました。分割払いでの販売は、同時期の他の漆器には無い販売方法で、輪島塗独自の取り組みと言えます。

購入しやすい分割払いの販売によって、当時から高級漆器であった輪島塗は買いやすくなり更に販路を広げていきます

輪島塗の歴史:明治時代から現在まで

時代は江戸から明治へと移ります。

明治維新後の変革を乗り越え、伝統工芸品に指定される輪島塗ですが、どのような点が評価され一大産業になっていったのでしょうか。歴史の中から、今でも受け継がれる輪島塗の技術と職人の役割、その中でも変わっていく販売方法や、製品を見ていきます。

明治維新で大打撃を受けた輪島塗

明治維新により多くの大名や武士は大打撃を受けます。さまざまな器が出回っていた京都での器需要がなくなり、漆器の一大産地だった江戸や尾張、加賀は大きな打撃を受けることに。

一方で独自の生産と販売ルートを持ち、富裕な農家や商家を主な顧客としていた輪島塗は比較的打撃を受けずに済んだのです。さらに、当時有名な蒔絵師であった尾張の飯田善七をはじめとする職人が輪島に移住してきたことで、本格的な蒔絵が発達していきます。

大正時代にかけては、黒川碩舟、橋本雪洲、舟掛宗四郎など沈金の職人が活躍し、昭和に入ると1955年に前大峰という人が重要無形文化財「沈金」の保持者に認定されます。

国の伝統工芸品に指定された輪島塗

前大峰が重要無形文化財に認定されたこともあり、ますます注目を集めることになる輪島塗。1975年には、現在の経済産業省の伝統的工芸品に指定され、さらに1977年には国の重要無形文化財に指定されました。

評価された点はなんといっても、「沈金」や「蒔絵」などの装飾の美しさ。さらに下地に地の粉が用いられる製法が、他の製品との差別化になり評価されました。

また、輪島塗の原料となる木地を用途によって使い分けている点も優れています。お盆やお茶碗などの木地には、漆がのりやすいケヤキやトチが使われ、ろくろを挽いて土台となる椀や皿などを作ります。さらに、よく見受けられる重箱などの木地には、耐水性に優れるヒノキやキリ材を使い、木の特性を見事に生かしているのです。

そして、多くの名工を輩出している点からも、輪島塗に関わる職人の技術力の高さが伺えますね。土地、材料、技術力の高さなど多くの要因が、輪島塗を伝統工芸品に指定される背景にあったといえるでしょう。

輪島塗の産業を絶やさないための取り組み

輪島塗で使用される漆は年間で3~4tにのぼりますが、国産は約200kgほどしかありません。国産では全くまかなえていないのが現状です。そのためほとんどは中国製の漆に頼るしかありません。

その状況をなんとかしよう、国外の漆に頼らないようにしようと、現在では国の援助を受けながら輪島で漆の木の栽培が行われています。

輪島塗がかかえる今後の課題

輪島塗は職人の高齢化に伴い、後継者不足に陥っています

解消するために「修行期間の短縮化」が行われています。以前は輪島塗の職人になるために7、8年という長い修行が必要でしたが、今では道具の進歩もあり4年ほどになっているのです。

また、石川県立輪島漆芸技術研修所では、輪島塗を受け継ぐ職人を増やす取り組みも行われています。全国から漆器作りを目指す若者向けに漆器の基礎的なことを学べるコース、応用コースを開設し、学びの場を与えています。
さらに近年は輪島塗の技術を漆器のみならず、バイオリンやスピーカーなどにも応用する動きが高まっています。特殊な技術を後世に残すべく、これからどのように展開していくのか、楽しみですね。

最後に

縄文時代から人々の生活に深く関わってきた「器」。根強い人気の輪島塗が長期にわたって発展してきたのには、職人の技術以外にも海に囲まれた土地で航路が確立され、安定した取引先があったからです。

明治維新後の厳しい状況に耐えたのは、分業制であったり、数多くの職人をまとめる専門職があったりと団結した人々の力があったから。「沈金」「蒔絵」など輪島塗独特の模様が、今も多くの人を魅了しています

これからも、多くの職人が輪島塗を通して、輪島の魅力や、歴史を語っていくのではないでしょうか。

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