雄勝硯

雄勝硯の歴史~震災を乗り越え、新たな歴史を刻む~

雄勝硯の歴史を年代別にかんたんに紹介

応永3(1396)年
雄勝地区で硯石の産出が始まる。

元和年間(1615〜1624年)
伊達政宗公が牡鹿半島の鹿狩りの際、雄勝硯を献上されて賞賛。
二代忠宗公が雄勝硯の技術に感服し、伊達藩の硯師として抱える。一般の採石を禁じた「お止め山(お留山)」を指定。

明和8(1772)年
『封内風土記』に雄勝浜での硯石産出が「すこぶる雅物なり」と記載。

昭和60(1985)年
雄勝硯が国の伝統的工芸品として指定される。

平成24(2012)年
東京駅丸の内駅舎保存復原にて、東日本大震災の津波の跡から発見された雄勝石のスレート約1万5千枚が使用された。

雄勝硯の歴史(詳細)

雄勝硯の歴史は古く、石巻市雄勝町の天然石「雄勝石」を使用して制作されています。室町時代の応永3(1396)年には既に雄勝地区で硯石の産出が始まっており、江戸時代の元和年間(1615〜1624年)には伊達政宗公が牡鹿半島の鹿狩りの際に雄勝硯を献上され、大いに賞賛したとされています。この事実は、伊達政宗公が賞賛したことを示すとともに、二代忠宗公が雄勝硯の技術に感服し、伊達藩の硯師として抱え、一般の採石を禁じた「お止め山(お留山)」という山を指定したとの伝承とも一致しています。さらに、明和8(1772)年刊行の『封内風土記』には、雄勝浜での硯石産出が「すこぶる雅物なり」と記載されており、その頃からすでに特産品としての価値が認識されていたことが伺えます。

雄勝石は、2億3千〜5千万年前の地層から産出する黒色の硬質な粘板岩で、玄昌石とも呼ばれる素材です。この石は圧縮や曲げに強く、吸水率も低いため経年変化が少ない特徴を持っています。これらの特性から、歴史的建造物などのスレート材としても利用されており、平成24(2012)年の東京駅丸の内駅舎保存復原時にも、東日本大震災の津波の跡から発見された雄勝石のスレート約1万5千枚が使用されました。雄勝硯は、墨を擦る時に砥石の役割を果たす“鋒鋩(ほうぼう)”の立ち具合や耐久性に優れており、昭和60(1985)年に国の伝統的工芸品として指定されました。現在も雄勝町では、600年を超える雄勝硯の伝統を守るために硯職人たちが手作業での硯づくりを続けています。

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