会津塗の歴史を年代別にかんたんに紹介
1590年(天正18年):豊臣秀吉の命を受けた蒲生氏郷が会津の領主となり、漆工芸を産業として奨励。日野(滋賀県)から木地師や塗師を招き、先端技術を伝授させる。
室町時代:芦名盛信が漆の木の植林を開始。赤や黒の塗りの盆や椀が作られ始める。
江戸時代:会津松平家初代・保科正之が藩主となり、漆の木の保護育成に努める。漆器の技術革新が進み、中国やオランダなどへの輸出が行われ、隆盛を迎える。
1868年:戊辰戦争により会津漆器が壊滅的な打撃を受ける。
明治中期:会津漆器が日本有数の漆器産地として復興。
1872年:パリ万国博覧会に会津塗が出品される。
大正時代:一部機械化と漆の技術の高級化により、再度地場産業としての地位を固める。
戦後:米国向けの輸出が一時的なブームを経験。
高度成長期:素地をプラスチックとした漆器が作られるようになる。
1975年:会津塗が経済産業大臣指定「伝統的工芸品」となる。
2019年:会津塗が会津若松市の指定無形文化財(工芸技術)に指定される。
会津塗の歴史(詳細)
会津塗の歴史は、福島県西部の会津地方で発展した伝統的な漆器の歴史です。この地域は室町時代から漆の植林が行われ、漆器作りが始まったとされています。会津塗が本格的に産業として根付いたのは、天正18年(1590年)に豊臣秀吉の命を受けた蒲生氏郷が会津の領主となり、漆工芸を奨励したことによります。氏郷は滋賀県日野から木地師や塗師を招き、先端技術を伝授させました。これにより会津塗は漆の栽培から加飾まで一貫して手がける一大産地となりました。
江戸時代には、会津藩祖・保科正之が漆の木の保護育成に努め、会津塗はさらに盛んになりました。技術革新が行われ、海外への輸出も盛んになり、会津塗は隆盛を迎えました。しかし、戊辰戦争によって会津漆器は壊滅的な打撃を受けました。
その後、明治時代には会津塗が日本有数の漆器産地として復興しました。400年以上の伝統を超えて、常に最新技術を取り入れ成長を続けています。1975年には経済産業大臣指定「伝統的工芸品」となり、2019年には会津若松市の指定無形文化財(工芸技術)に指定されました。現在でも椀や花瓶、茶器など伝統的な製品から、酒器やカトラリー、アクセサリーなど多様な製品が作られており、全国有数の塗りの産地として多くの人々に愛されています。