東京無地染

東京無地染の歴史~江戸時代から続く格式高い単色染め物~

東京無地染の歴史を年代別にかんたんに紹介

552年: 仏教の伝来と共に藍、紅花が渡来し、無地染の基礎が築かれる。
奈良平安時代: 大和民族独特の染め技術が確立され、地染、ぼかし、絞り等の技術が盛んになる。
鎌倉時代: 絹織物の発達と共に灰汁、鉄媒染、酢の発達により、浸し染が進化。「江戸紫に京鹿の子」という言葉が生まれる。
江戸時代: 江戸紫、江戸茶をはじめとする無地染が江戸庶民文化として広まる。
現代: 手作業が中心の無地染が続き、色無地の色抜きと再染めが可能。年齢や譲渡に応じた色選びが行われる。

東京無地染の歴史(詳細)

無地染(浸染)は、染色法の中で最も基本的な方法であり、草木の根、花、葉、皮、果実などを用いて布地に色を付ける技法から始まりました。この技法は古代から存在しており、仏教の伝来(552年)と共に藍や紅花が渡来しました。奈良平安時代には大和民族独特の染め技術が確立され、地染、ぼかし、絞りなどの技法が盛んに行われました。

鎌倉時代になると絹織物の発達と共に、草木染めに必要な灰汁、鉄媒染、酢の発達により、浸し染が大きく進歩しました。この時期には、「江戸紫に京鹿の子」という言葉が生まれ、鹿の子絞りは京都を、紫染は江戸産を最上とする東西両都の染色の特徴を象徴していました。江戸紫、江戸茶をはじめとする無地染は、江戸庶民文化の一部として庶民の間で広く愛用されるようになりました。

現代においても、無地染は手作業が中心で、色無地は色抜きして再び染め替えることが可能です。最初に明るい色を選び、次には年齢にふさわしい渋味のある色、例えば古代紫、紺、抹茶などを選ぶことが一般的です。また、若い世代への譲渡の際には色を変えて染めることで、若々しい雰囲気を演出することができます。このように、時代が変わっても流行に左右されずに美しく着られるのが無地染の特徴です。

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