信州打刃物

信州打刃物の歴史~薄く、美しく。機能性と造形の美~

信州打刃物の歴史を年代別にかんたんに紹介

約450年前: 信州打刃物の始まり。川中島の合戦に伴い、武具や刀剣類の修理のために鍛冶職人が北信濃に移住。
江戸時代末期: 柏原村の久保専右衛門と古間村の荒井津右衛門による独自の加工技術「芝付け」加工や「つり」加工の開発。両刃の鎌を片刃で薄刃に改良。
明治時代: 鎌の販売を生業とする者が登場し、生産と販売の分業化。明治21年(1888年)の国鉄信越線開通により全国販路が拡大。
1978年(昭和53年): 信州打刃物が「伝統的工芸品」に指定される。製品範囲が農具や山林用具だけでなく、包丁や他の刃物製品にも拡大。
21世紀: 古間地区において伝統的な技法で信州打刃物を作る職人の工房が現存し、伝統が続いている。

信州打刃物の歴史(詳細)

信州打刃物の歴史は、約450年前にさかのぼり、戦国時代の川中島の合戦時に武具や刀剣類の修理のために北信濃に移住してきた鍛冶職人に始まります。これらの職人に地元の里人が鍛治の技術を学び、農具や山林用具の製作に応用しました。その後、技術は弟子から弟子へ、子から孫へと受け継がれ、さらに改良が加えられました。

江戸時代末期には、野鍛冶である柏原村の久保専右衛門と古間村の荒井津右衛門によって、特徴的な加工技法が開発されました。久保専右衛門は「芝付け」加工と「つり」加工を考案し、荒井津右衛門は従来の両刃の鎌を片刃で薄刃に改良しました。これらの技法は、信州鎌の原型を形成し、鋼部分の薄さが切れ味の基礎となりました。

明治時代に入ると、鎌の販売が生業とする者や、生産と販売を分業化した問屋が確立しました。明治21年の国鉄信越線開通により、全国各地への販売が拡大しました。昭和53年(1978年)には、信州打刃物が「伝統的工芸品」に指定され、その後も発展を遂げてきました。現在では、農具や山林用具に限らず、包丁や他の刃物製品も製造されています。また、信濃町の古間地区には現在も伝統的な技法で打刃物を作る職人の工房が存在し、長い歴史を今に伝えています。

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