三河仏壇

三河仏壇の歴史~高度な職人技術と良質な素材による伝統仏具~

三河仏壇の歴史を年代別にかんたんに紹介

1658年:元禄年間(1658~1704年)、三河仏壇の製造が始まる。
1704年:元禄17年、仏壇師庄八家によって三河仏壇の製造が始まるとされる。
1868年:三河地方一帯で仏壇の開業者が増え、現在の三河仏壇の産地が形成される。
1976年7月:昭和51年7月、三河仏壇振興協同組合が設立される。
1976年12月15日:昭和51年12月15日、経済産業大臣から伝統的工芸品の指定を受ける。 ​

三河仏壇の歴史(詳細)

三河仏壇の歴史は、江戸時代の中期にその起源を持ちます。元禄年間(1658~1704年)には、矢作川から得られた松、杉、桧を原料に仏壇が造られ始めたとされています。文献によれば、この仏壇製造の始まりは元禄17年(1704年)にさかのぼり、創始者は仏壇師の庄八家によると伝えられています。当時、仏壇の原材料である木材は、矢作川の水運を利用して得られるマツ、スギ、ヒノキの良材で、漆は三河北部猿投山麓で採れたものを使用していました。

江戸時代中期の「宗門改め」によって檀家制度が確立され、各家庭に仏壇が普及するようになったことが、今日の仏壇、仏具製造の基礎を築きました。明治中期以降、岡崎市だけでなく、幡豆郡や西尾市、刈谷方面にも仏壇製造が広まり、三河地方一帯は仏壇の産地として栄えていきました。幕末から明治時代にかけては、岡崎市内をはじめ三河地方を中心とした地域で開業者が増え、現在の三河仏壇の産地が形成されました。

三河仏壇の特徴としては、毎日のおつとめが便利なように台が低く設計され、寺院の内陣の豪華さを家庭用仏壇に取り入れるよう工夫された「うねり長押(なげし)」作りや精巧な彫刻が挙げられます。昭和51年7月には三河仏壇振興協同組合が設立され、同年12月15日に経済産業大臣から伝統的工芸品の指定を受け、三河仏壇の歴史と伝統が公式に認められました。

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