南部鉄器

南部鉄器の歴史~素朴なデザインと機能性を兼ね備えた鉄器~

南部鉄器の歴史を年代別にかんたんに紹介

弥生時代
金工品(金、銀、銅、錫、鉄など)の製造が日本で開始される。

平安時代末期
藤原清衡が近江国から鉄器職人を招き、奥州で武具などの製造を開始。

室町時代以前
鋳物職人が主に京都に集中。

戦国時代
大名たちが鋳物職人を重用し、技術が全国に広がる。

17世紀初め(江戸時代初期)
盛岡の南部藩主が京都から釜師を招き、茶の湯釜の製造を開始。

1659年(万治2年)
南部藩主が御釜師・小泉五郎七清行を招き、茶の湯釜の製造を促進。

18世紀(江戸時代中期)
南部鉄瓶が3代目御釜師・小泉仁右衛門清尊によって考案される。

明治時代
皇太子(のちの大正天皇)が南部鉄瓶の製作現場を見学。
第一回 内国勧業博覧会で南部鉄器が花紋賞牌を受賞。

大正時代
南部鉄器の販路が東北から全国に広がる。

昭和時代
第二次世界大戦で南部鉄器の生産が一時的に制限。

1959年
盛岡市と奥州市の南部鉄器組合が連合会を発足、「南部鉄器」という統一ブランド名が確立。

1975年
南部鉄器が国の伝統的工芸品として第一号認定を受ける。

南部鉄器の歴史(詳細)

南部鉄器の歴史は、岩手県の盛岡市と奥州市を中心に長い時間をかけて形成されてきました。盛岡の南部鉄器の起源は、江戸時代初期の17世紀にさかのぼります。この時期、南部藩主が京都から釜師を招き、茶の湯釜を作らせたことが始まりとされます。奥州の鉄器の歴史は更に古く、平安時代末期に藤原清衡が近江国から鉄器職人を招き、武具などを製造させたことが起源とされています。

金工品の製造が日本で開始されたのは弥生時代で、大陸からの影響を受けて鉄器や青銅器の製造が始まりました。室町時代以前は、鋳物職人は主に京都に集中していましたが、戦国時代に武具の需要が高まったことで大名たちは鋳物職人を重用し、その技術は全国に広がりました。

南部鉄器と茶の湯文化は深い関連性を持ち、江戸時代中期には南部鉄器の代表作である「南部鉄瓶」が誕生しました。この鉄瓶は、片手でお湯を注ぐことができるよう設計され、茶道の普及と共に人々の生活に根付きました。

明治時代には、南部鉄瓶が皇太子(後の大正天皇)による製作現場の見学や内国勧業博覧会での受賞を通じて全国的に知名度を上げ、大正時代にはその販路が全国に広がりました。しかし、昭和時代の第二次世界大戦では、多くの職人が徴兵され、鉄が供出されたことで生産は一時的に制限されました。戦後の生活の変化に伴い、南部鉄器は生活必需品としての位置を失いました。

1959年には、盛岡市と奥州市の南部鉄器組合が連合会を発足し、「南部鉄器」という統一ブランド名が確立されました。1975年には、南部鉄器は国の伝統的工芸品として認定を受け、そのブランドとしての地位を一層固めることとなりました。

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