樺細工

樺細工の歴史~山桜の美しさを活かす技法~

樺細工の歴史を年代別にかんたんに紹介

安永年間~天明年間 (1770年代~1780年代):
角館を治めていた佐竹北家が阿仁地方から樺細工の技法を伝えられる。
樺細工の起源とされ、下級武士が手内職として始める。
初期の製品として印籠や胴乱が製作される。

明治時代 (1868年~1912年):
角館の商業圏としての繁栄。
樺細工が安定した産業として成長。
有力な問屋の出現、工具の改良、新製品開発などが行われる。

戦後 (1945年以降):
粗悪品が市場に出回り、樺細工の評価が低下。
業界には不況の波。

昭和40年代 (1965年~1974年):
民芸ブームや本物志向の流れの中で樺細工が再び隆盛。

昭和51年 (1976年):
樺細工が通産大臣より伝統的工芸品の指定を受ける。

昭和53年 (1978年):
角館町樺細工伝承館が開館。

樺細工の歴史(詳細)

樺細工の歴史は、角館の産地である旧角館町が位置する秋田県の中央、仙北平野の北部に注目することから始まります。清流玉川と桧木内川に挟まれたこの城下町は、藩政時代に城下町としての重要性を持ち、明治以降も政治経済の中心地であった。角館の樺細工の起源は、天明年間(1771~1788年)に下級武士が手内職として始めたもので、大凶作や飢饉の中で、自生する近在の山桜の樹皮を利用して製作が始まったとされる。その後、多くの変遷を経て、現在では従事者約120名により、年間生産額9.5億円という基幹産業に成長してきた。

角館が芦名義勝によって城下町として形成されてからの380年の間、学問、芸術、武芸などが花開いた一方で、角館は商業圏の中心地としても繁栄し、多くの手仕事の発展を促しました。明治時代に入り、有力な問屋の出現や工具の改良、新製品開発などが行われ、樺細工は安定した産業として成長した。特に、明治中期は伝統から創造性への一大転換期となった。

樺細工の伝播に関して、約230年前の安永~天明年間に、角館を治めていた佐竹北家が阿仁地方から技法を伝えられたことが始まりとされる。製品としては、印籠や胴乱などが初期のものとして知られ、現在では茶筒や箱物をはじめとした多種多様な製品が生産されている。樺細工製品は湿気を避け、乾燥を防ぐ特性を持ち、これが製品の大きな特長として活かされている。

しかし、樺細工の歴史は決して順調なものではなかった。戦後、粗悪品が市場に出回ったことで、評価が低下し、不況の波が業界に押し寄せた。しかし、伝統の技を守り続けた職人たちの努力により、昭和40年代の民芸ブームや本物志向の流れの中で再び隆盛を迎え、昭和51年には樺細工が通産大臣より伝統的工芸品の指定を受け、さらに昭和53年には角館町樺細工伝承館が開館した。現代では、多くの職人が名工や伝統工芸士として認定されている。

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