秋田杉桶樽の歴史を年代別にかんたんに紹介
平安後期~戦国時代:秋田城遺跡から桶や樽の破片が発見される。これが秋田杉桶樽づくりの起源と考えられている。
15~16世紀:秋田城遺跡から桶と樽の底板、取手類が出土し、秋田県での桶作りの長い歴史が確認される。
1612年(慶長17年):「梅津政景日記」に、秋田藩家老が現雄勝町の酒屋で桶が使用されていたことを記録。
1682年(天和2年):久保田城下の酒屋たちが、酒樽の升目を統一するよう求める記事が記録される。
江戸時代:佐竹藩の保護のもとで桶樽産地が形成され、大量生産が始まる。
明治時代:秋田杉の桶樽が日常生活で広く愛用される。家庭用の「たらい桶」や「おひつ」などが普及。
大正時代:樽の需要が増大し、醤油樽や漬物桶、すし桶などの新しい用途が開発される。
戦前から戦後30年代:酒樽、醤油樽、すし桶、漬物桶などが全国的に需要を伸ばす。
昭和30年代後半:プラスチック製品の普及により、秋田杉桶樽の需要が急激に減少する。
近年:インテリア商品を含む幅広い製品が製造されるようになり、伝統的な桶樽の技術を現代のライフスタイルに合わせた商品開発が進む。
秋田杉桶樽の歴史(詳細)
秋田市寺内の高清水公園内にある秋田城遺跡からは、戦国時代から平安後期にかけての桶や樽の一部が発見されており、これは秋田県における桶作りの歴史が古く、非常に長いことを示しています。15世紀から16世紀のものと見られる桶と樽の底板、取手類が出土し、これらは秋田で最も古い桶の存在を証明しています。
文献上では、梅津政景の日記「梅津政景日記」の1612年の記録に、桶が既に現雄勝町の酒屋で使用されていたことが述べられており、1682年には久保田城下の酒屋たちが酒樽の升目を統一するよう求めていることが記されています。これらの事実は、秋田での杉桶樽作りが商人の間で広く普及していたことを示しています。
江戸時代には、佐竹藩の奨励と保護のもと、産地が形成され、桶樽づくりが大量生産されるようになりました。桶と樽の主な違いは、固定した蓋の有無であり、蓋がないものが桶、あるものが樽で、桶には柾目、樽には板目の材料が使われます。
明治時代に入ると、秋田杉の頑丈な桶樽が好まれ、洗濯用の「たらい桶」やご飯を入れる「おひつ」など、ほとんどの家庭で日常的に用いられるようになりました。大正時代を迎えると、醤油樽や漬物桶、すし桶など、新しい用途に適応した商品の開発が進みました。
戦前から戦後30年代にかけては、これらの桶樽が全国的に需要が伸び、多くの場面で重宝されました。しかし、昭和30年代後半からプラスチック製品によって需要が急激に減少しました。その後、新しい用途の開発が進められ、近年ではインテリア商品を含む様々な製品が製造され、秋田杉桶樽の木のぬくもりが生活に潤いと豊かさを提供し、多くの人々に愛用されるまでになっています。現代では伝統的な桶・樽に加え、お櫃やジョッキ、カップといった現代のライフスタイルに合わせた商品も販売されており、技術と特長を活かした新しい形で秋田杉の魅力が伝えられ続けています。