東京銀器の歴史を年代別にかんたんに紹介
916年: 延喜式に銀器の記録が残る。
1624年~1733年: 寛永年間に銀道具類が整調され、後水尾天皇および将軍家光に献上される。
1670年~1733年: 元禄時代に彫刻士横谷宗珂が大名家から町人の持物製作に転じ、彫金技術を確立。
1867年: パリ万国博覧会で日本の銀製品が世界に認められる。
1979年: 東京銀器が通産大臣(現経済産業大臣)より伝統的工芸品に指定される。
東京銀器の歴史(詳細)
日本の銀器の歴史は古く、916年の延喜式や法隆寺献納御物に見られる各種の銀器品にその起源が確認できます。江戸時代初期の寛永年間(1624年~1733年)には銀道具類が整えられ、後水尾天皇や将軍家光に献上された記録があり、これらを製作した職人は「銀師(しろがねし)」と称されていました。
江戸時代中期には、世界最大の都市となった江戸で元禄時代に彫刻士横谷宗珂(1670年~1733年)が大名家の製品から町人の持物製作に転じ、彫金の技術を確立しました。この時代に銀師と呼ばれる銀器職人や金工師が現れ、多彩な銀器作品が生み出されました。
明治時代になると、欧米の技術が流入し、日本の銀製品は多様性を獲得しました。特に1867年のパリ万国博覧会では日本の銀製品の芸術性が世界に認められ、大きな人気を博しました。この頃から鍛金師と呼ばれるようになり、現代に至るまで鍛金や彫金の技術が継承されています。
1979年には東京銀器が伝統的工芸品に指定され、現在ではアクセサリーや日用品としての銀製品が人気を集めています。東京、特に台東区が主要な産地として知られ、鍛金、彫金、切嵌、鑞付けといった技法で様々な銀器が造られています。